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zoom RSS サッカー日本代表の最終ラインの高さを巡るお話 オシム編

<<   作成日時 : 2008/07/19 00:06   >>

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■最終ライン論争へピリオドを!

予定を立てていても、相手があることだ。向こうは後半の頭から2トップで来た。それに対応したものだ。その点について、細かくは選手たちとこれから話したい。私の印象では、選手がよく考えた結果、そうしたのだと思う。つまり2トップに対して、最後列で1人余らせる守備を選択した。そういう選手の意思は尊重すべきではないか。ただしその際、中盤で選手が1人減るわけだ。その減った分、選手が余計に走るなり、工夫したりすべきなのだが、それができていなかった。遠藤が守備的な位置まで引かないといけない。もちろん悪くないプレーだった。しかし、阿部のポジションで遠藤がしっかりした守備ができるとは私は思わなかった。阿部や啓太(鈴木)が、遠藤のような攻撃能力を備えて、守備をできればよかった。あるいは、阿部や啓太といった守備のできる選手が、遠藤のような攻撃力があればよい。しかし天は二物を与えずというか、特に日本では、まだ選手の役割分担がはっきりしている。モダンなサッカーに追いつくには、攻撃も守備もできる選手を増やしていかないといけない。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200708/at00014382.html

上は適当にオシムの会見を読み直していたら見つけたものですが、ここでオシムが言う「2トップに対して、最後列で1人余らせる守備を選択した。そういう選手の意思は尊重すべきではないか」というのがオシム日本代表のそこまでスタイルであったと言えるんでしょうかね。

つまりトルシエのように「最終ラインが高いこと」を強いるわけでもないし、ジーコのように「1人余ること」を強いるわけでもないサッカーがオシムのサッカーであって、実はトルシエVSジーコで争ってきた「最終ラインの高低論争」にピリオドを打ったのがオシム日本代表のスタイルであっんじゃないかなと思うわけですが、はたしてどうなんでしょう。

■教育者

正直、まだ暗中模索だった気もするし本当に「最終ライン論争」が終わっていたのかはわからないところもあるんですが、「最終ラインが高い」スタイルも「最終ラインが低い」スタイルも両方OKであり、どちらも対応できるように「選手にそのコツを伝授」するのがオシムが目指したものであった気がするんですよね。

■具体的に

具体的に言えば「選手たちが自らできる本当の力」を「教育する」サッカーがオシムのサッカーであったのではないかと思っていたんですが、「選手の意思を尊重する」という側面で分類すれば、トルシエよりもジーコのスタイルに近かったと思えるし、「教育」という側面で分類すれば、ジーコよりもトルシエに近かったとも思えるわけですがどうなんでしょう。

■冗談ですよ

「ともかく自由奔放に育てる。基本技術は教えるが、組織論などについてはアドバイスはとくになし。きみたちは選ばれたスターなんだから、ちゃんと自覚して生きろ。」byジーコ
「おまえらは俺の言うとおりに立ち振舞え。それがフォア・ザ・チームだ。おれがジャイアンガキ大将だ。おまえなんかに負けないぞ」byトルシエ
「どう生きるのも自由だが、生きていくためのヒントや勉強方法を教えましょう。ただ芸能人になりたいやつには役に立たないかもな。公務員を目指せ。安定しているからいいぞ」byオシム

■冗談ですってば


というのは冗談ですが、こんな感じ? オシムが公務員養成というのは言い過ぎかもしれませんが、要は自主性とは言っても本当に「選手に任せっぱなし」ではなく、オシムが導きたい方向というかスタイルというのがあり、それがなんとなくそういうイメージであったんですよね。あえてマイナス的に言うと。

■好意的に

好意的に書くと、下でコメントしているこの言葉にすべてが集約されているという感じでしょうか?

「阿部や啓太(鈴木)が、遠藤のような攻撃能力を備えて、守備をできればよかった。あるいは、阿部や啓太といった守備のできる選手が、遠藤のような攻撃力があればよい。しかし天は二物を与えずというか、特に日本では、まだ選手の役割分担がはっきりしている」。
さてこの言葉がオシムの本心だったなのか建前だったなかはわからないんですが、オシムが日本代表でやろうとしていたスタイルはここでいう「攻撃も守備もできる選手を増やすこと」だったのは間違いない気がしますが、どうなんでしょうかね。いわゆる例の「ポリバレントという言葉」がそれにあたるのかもしれませんが、そんな「攻撃も守備もこなせるポリバレント」な選手を見つけて教育して育てることがオシムサッカーの本質であったと思うんですが、オシムはそれがどのくらいの確率で実現可能であると思っていたのかは気になるところです。

■ふたたび最終ライン論争

って話はずれましたが、日本代表における「最終ライン論争」はオシムによって完結を迎えていたのかどうかは今となっては知る良しもないんですが、「最終ライン論争」を最終ラインの話だけでなく「中盤や前線の選手」と絡めて11人のフィールドプレイヤー全体の話で考えていたことは、何よりもオシム監督の日本代表での功績であった気もするわけですが、どうなんでしょう?

■がんばりましょう!

ちなみにSMAPの「がんばりましょう」って曲は知ってますか? この曲のサビはすばらしいんですが、何がすばらしいって、このサビのメロディがこちらの楽曲をリスペクトしているからであるわけでして。これを「海外のコンプレックスだ。模倣だ!」とか「日本のオリジナリティがない」とか言っていちゃだめだと思うんですけどねえ。いいものはいいんです。すばらしいものは、やっぱすばらいしんです。模倣でなく、ちゃんと消化できていればね。
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