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zoom RSS 今だからこそオシム日本代表を考える 「Number715「世界から見たニッポン。」を読む」を読んで 

<<   作成日時 : 2008/11/14 22:08   >>

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『狂気にはなれず、健康にはならず、神経症には慣れたもんさ....そんな風にちょっと 変わった暮らしする人々の間には、いつもイカした音楽が流れていたものである。 僕はそれを「ロックでもないジャズ」とか呼んでいた。文化から生まれ、それと 縁を切らず、快適な実践に結びついているものなら、みな僕はそう呼んだ。 興奮は進行を急ぐことから生ずるのではなく、いわば垂直の大騒ぎから生ずるのである。 だからこそ、文化は縁として戻ってくる。様々な形で。』
<矢部 直:TADASHI YABE>
http://www.united-future-organization.com/news/news.html
Loud Minority - United Future Organization


シリアとのテストマッチ勝ったみたいですね。すごいなぁ。

というわけで、今回は読み損ねたオシム元日本代表監督のNumberでのインタビューについて、なんとMarioさんがサイトにその概要を掲載&うまくまとめていらっしゃるので、それについて思うところを書いてみたいと思います。

■スコーンと断ち切れて途絶えてしまった

まずその前にサイトの主、Marioさんについてですが、ご存知でない方のために紹介しておきますとジーコ&オシム日本代表監督によくこのブログにコメントをいただいていたました、サッカーに詳しい方です。当時はそのMarioさんを始め、RRさんやコージさんや酩酊さんやタカクさんやガセッタさんやKINDさん(にゼットさんやケットさん)などと日本サッカーについていろいろな議論を戦わせていたわけですが、今となってはただただ懐かしいばかり。トルシエ、ジーコ、オシムはそれぞれのサッカー哲学で違うところや共通するところなどありましたが、それぞれ少なくとも意見を戦わせることができるくらいのレベルのものはあったと私は思っているわけでして、その一連の流れが今年の初めからスコーンと断ち切れて途絶えてしまったことは、ただただ遺憾に思う次第です。というわけで前振りはこれくらいにして、本題へ。

■「普通にしろ」について

 全く普通の理想論です。 此処からより具体的に選手名や局面での戦術などが続きますが、内容は多分ほとんどのチームの、見る側、やる側、やらせる側(言い方が悪いが)が「やりたい」サッカーのはずです。 http://mariott.blog21.fc2.com/blog-entry-263.html

まずMarioさんのまとめを読むと、オシムは「普通にしろ」とおっしゃっていたみたいですね。これはズバリ岡ちゃんへのイヤミかしら? 岡ちゃん日本代表のサッカーは「手の内を隠す・秘密兵器サッカー」であるとこのブログで何回か書かせていただきましたが、たぶんオシム監督も「それ」を感じてあえて「(奇をてらわないで)普通にしろ」と言っているんじゃないかと邪推してみました。勘ぐりすぎ?(笑) で、もっと言わせていただくと、このオシムの「普通にしろ」って発言は例のサッカーの日本化についても当てはまると思うんですよね。つまり、メガネを掛けた日本人は「日本化」を異種競技のラグビーに例えて「普通じゃないサッカー」って解釈していたと思うんですが、オシムが言っていた「日本化」はそうではなく、あくまで「普通のサッカーの延長線上」にあったと。「接近・展開・継続」でしたっけ? オシムはそんな極東のトンデモラグビー理論のことなんて知らないだろうし、たとえ知っていたとしても失笑していたと思うんですが、その「トンデモラグビー理論」をあたかも「オシムのサッカーはそれだ」と言わんばかりに勝手に改ざんされて、挙げ句の果てに「そのオシムの提案するラグビーサッカーはオシムしかできない」とか言われたら、そりゃいくら優しくて親日派のオシム監督でも憤慨しますよね。というか日本人として恥ずかしいし、申し訳ない気持ちでいっぱいになるわけですが、そんな「トンデモ理論」持ち出すくらいなら「普通にしろ」という意味での発言だと思うんですよね。まぁ、真意はわかりませんが、少なくともジーコからオシム時代に掛けては「普通にサッカーをする」ことがサッカーの哲学以前の大前提としてあったと思うんです。トルシエはちょっと「奇」のところもあったけど、それでも今に比べれば「普通」であったわけで、その普通の解釈が「ブラジル的」か「東欧的」か「アフリカ&フランス的」かみたいな違いが、ここ数年の日本代表を取り巻くサッカー哲学の流れであったのではないでしょうか。で、そういう「サッカー哲学と日本人の特性」について我々は1999年くらいから、いろいろと考えたり考えさせられたり、希望を持ったり絶望したり、喜んだり悲しんだり、怒ったり笑ったりしてきたわけですが、その流れをスコーンと「ラグビー理論に倒置」してしまったのがこの2008年だったと言うことなわけですよ。「ラグビー理論導入」したのはうそでもなんでもないですよね? そう。お笑いのネタでもなんでもなく、真面目だったところにこの悲劇がある。で、その悲劇はまだ終わっておらず継続中なわけですが、はたして悲劇が喜劇に変化してハッピーエンドを迎える日はくるのでしょうか?

■「日本人を見る視点」は同じだった?

話をオシムインタビューに戻します。あと注目すべきは、やっぱ「フィジカル」と「テクニック」についての言及しているところですかね。結局のところジーコもオシムも変わらないとまでは言いませんけど、少なくとも「日本人を見る視点」は同じだったということなんじゃないかな。手法や哲学は違えど、「日本人と言う素材」を見る目は同じだったみたいな。

■ジーコとの違い

ジーコとの違いで言うと、鈴木啓太に関する今回のオシムの発言は興味深かった。鈴木啓太に関してオシムは「運動量は申し分ないが、攻撃がイマイチ」であると語り、鈴木啓太であろうとなかろうと「水を運ぶ人の役割は重大」であり、鈴木啓太よりも攻守にすごい「スーパーボランチが必要だった」的なことを言ってますが、その今の境地からドイツW杯での「ジーコ日本代表」を考察すると、はたしてどういう見解となるのか? 個人的には、ぜひそのあたりをインタビューアーに突っ込んでほしかったんですよね。私はドイツW杯の後「中田英寿がもっとボランチ的なプレイををまっとうすべきだった」「それをさせることができなかったのは、ヒデのみならずジーコの責任」的なことを書いたわけですが、オシム的に「中田英寿のボランチ」というが、今どう思っているんだろうか? つまりインタビューで言うところの「スーパーボランチ」に中田英寿はなれたんだろうか? もっと言うと、オシムが監督の下だったら中田英寿を「水を運べて、攻撃もできるスーパーボランチ」的に変化させることができたんだろうか?

できたのか、できないのか? というか、やれる自信はあるのか? というか、それをやる価値はあるのか?

■「上手い選手に水を運ばせる」は可能なのか?

まぁ、今それを聞いても仕方がないと言えばそうなんですが、そこはオシムが日本監督している時に非常に気になっていたことだったんで、すごく聞きたいんですよね。

私は当初オシムに期待していたのは「運動量あるけど下手な選手の技術をあげること」でなく「技術と経験がある選手をうまく機能させること」だったわけで。つまり、「水を運ぶ人のテクを上げる」んじゃなくて「上手い選手に水を運ばせる」ことをオシムならできたんじゃないかと期待していたわけで、そういう方法論は頭にあったのかなかったのか、やろうとしていたのか不可能だったのかに聞いて欲しかったなぁ(って、もしかしてこのインタビューですでに聞いてます? よく読んでなくてすみません)

■田嶋?

あと、今聞きたいのは代表監督就任前に田嶋とどんな話をしたのかってことですね。つまり「千葉枠」的な話はしたのかってこと。当時、オシムは千葉の監督だったのは言うまでもないわけですが、辞めて日本代表監督になる条件として「なんらかの取り決め」はあったのか、なかったのか? まぁ悪い意味でなく良い意味で「取引」があってもおかしくなかったと私は邪推しているんです。「私のどこを評価して監督にするんじゃ? ジェフ千葉での仕事か? なるほど、じゃ日本代表をジェフ千葉みたいにすればいいのかな? OK、なら簡単じゃ。そのためには千葉の選手を主体に代表チームを作ることになるが、御主らそれでもよろしいかな? なんだユーゴでの仕事を期待しているのでなく、千葉なのか。フッフッフ。まぁ、確かにそれならジェフに対しても途中で辞める意義もあろうか」なんてやり取りが田嶋とあったとしたら、いろいろ理解できる気もするんですが、そこまで邪推するのは得策ではないですね。
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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
 ご紹介いただいて深謝というか気恥ずかしいです。
 今の「薄っすらと見えてくるやりたいらしきこと」は「好き」なんですが、結局アジアカップのチームのジレンマ的なものと同じ情況に陥り且つ融通が利かない、という勝負事としては更にリスクがある、ような現状ですね。 /19のパフォーマンス次第でしょうね・・・。
Mario
2008/11/17 00:28
>手法や哲学は違えど、「日本人と言う素材」を見る目は同じ

同感です。ジーコは選手を見る目や試合の流れを見る戦術眼は素晴らしかったと思います。ただ、経験がなく選手にタスクを与える方法論がなかったことが、代表やジーコにとって不幸だったのではないでしょうか。

>「水を運ぶ人のテクを上げる」んじゃなくて「上手い選手に水を運ばせる」ことをオシムならできたんじゃないかと期待していた

確かに「走らない選手を走らせるのは難しい」と言っていましたが、できないとは言っていなかったように思います。

「リケルメのような質を持った選手が日本に現れるとは想像できないが、あのタイプの選手に未来のサッカーがポジションを用意している可能性が極めて低いことは確かだ。そこに自分で気づいて、スタイルを変えられるかどうか」

試合では、遠藤や俊輔にタスクを与えて、パサー以外の役割をするよう促していたようにみえました。恐らく、スターシステムへの批判的態度から、能力がある選手についてあまり誉めたくないところから来ているのでは。
kakara
2008/11/17 17:16
>Marioさんへ
どうもです。こちらこそ勝手に引用させてすみません。好き嫌いでいうなら、私は「嫌い」ってことになるわけですが(笑)、11/19のパフォーマンス次第は同意です。
>kakaraさんへ
はじめまして。「そこに自分で気づいて、スタイルを変えられるか」は、結局オシムの終焉とともにおしまいになってしまったんですかね。「スターシステムへの批判的態度」とかは個人的にはとっつきにくかったかなと。
doroguba
2008/11/18 04:54
今だからこそオシム日本代表を考える 「Number715「世界から見たニッポン。」を読む」を読んで  doroguba*footballcolumn*/BIGLOBEウェブリブログ
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