■サッカー南アフリカワールドカップの日本代表の総括?かなり早いですが、今回はサッカー南アフリカワールドカップの日本代表の総括をしたいと思います。って、まだ終わってないというか大会が始まってもないっての(笑)。まぁ総括と言っても、サッカーの試合そのものでなく監督人事の話です。2006年のジーコ日本代表以降、日本サッカー協会は代表監督に何を求め、どういう監督人事をしたのか。そのまとめみたいなものです。あまり新しいことは書いてません。合わせて、それに対する個人的見解みたいなものを、なんとなくこのタイミングで書いておきますね。 ■サッカー日本代表の監督人事とは?さて、まずはサッカー日本代表の監督人事が、いったいどのような観点から行われているかについて。いろいろと考えてみたんですが、何となく次の5つに絞られるのかなと。
もっとあるかとは思いますが、まとめるとこんなところですかね? ■実績や経験が大切で、私的には上の6つのうち「2」の「実績や経験があるかどうか」を最優先に考えて、サッカー日本代表の監督を選ぶのが理想であると思ってます。 何故なら、今のサッカー日本代表は「W杯本大会における、ある程度の結果」が求められているのが現状であり、そのために1番必要だと思うものが「名将と呼ばれる監督の実績や経験」であると思うからです。まぁ、何をもって名将と定義するのかは難しいとは思いますし、もちろん名将が日本サッカー代表監督に就任したからといって、簡単に試合に勝てるとは限りません。それに、そんな世界的な名将が、簡単に極東に位置するガラパゴズ日本代表監督の仕事を引き受けてくれるとも限らないんでしょう。それはわかりますが、たとえそれが難しくとも監督人事方法の第一の観点は「実績や経験」であるべきだと言いたいんです。できる限り、これを考慮して探すべきだと。 例えば2人の監督候補がいたとして、1人が「コンセプト屋さん」、1人が「実績や経験」な人だった場合は、絶対に後者を選ぶべきです。まぁコンセプト屋さんも嫌いではないけど。 ■オシムが選ばれた経緯?と個人的な意見はこれくらいにして、ここからが本題。 では日本サッカー協会は、どうやって監督を選んでいるんでしょう。 たぶんジーコの時は「3」「 ■テクニカルレポートとオシム実は、このオシム選考の理由に関連して、2007年1月にKETSEEさんという方とブログで意見交換させていただいたことがあります。かなり昔のことなのでよく覚えてませんし、当時の話を今持ち出すのは意味がないかもしれませんが、KETSEEさんという方のブログには「1」の「技術委員会が考えるテクニカルレポート的なコンセプト」と「オシムのサッカー」の類似性が述べられてました。 「高い位置から奪いに行く」ことについては、オシム監督のチームは、ジェフの時からそれを目指しているように私には思われます。特にボールを失った瞬間の守備が強く意識付けられ、攻撃の選手も自分から奪いに行く姿勢が強い。それはガーナ戦でのフィジカル・コンタクトの位置のカウントでも現れていますね。むしろその姿勢が強すぎて後ろにちょっと不安があり、ジェフは失点の少なくないチームでした。代表ではどうなるか、気になりますね。また、「全員のハードワークと闘う姿勢」については、オシム監督はそれを最低の前提条件としているのではないでしょうか?特に高い位置から奪いに行く時はそれが必要になりますが、そうでなくてもそれは「当たり前のことの徹底」であって、本来はことさらに取り上げるようなことではないと言ってもいいくらいです。しかし、テクニカルレポートではそれが「ドイツ大会の日本ではできていなかった」とされていますし、私も同感なのです。ですからまずは、その部分を「正常化」し、それをステップボードとしてその先へ行こうということではないかと思っています(その「先」がどこかというのは興味深いですが、それはまたいずれ)。「走らなければサッカーにならない」「一人でも守備をしない選手がいると勝てない」というのは、オシム監督の口癖ですよね。 正直、オシム監督の目指すサッカーが「高い位置から奪う」とか「全員のハードワークと闘う姿勢」なのかはわかりませんが、このエントリーでは「オシムのサッカー」をこのように評し、テクニカルレポートと照らし合わせて解釈されておりました。もちろん、KETSEEさんという方のブログには「テクニカルレポート」のコンセプトにに基づいてオシムが選ばれたとは書かれてませんし、実施に日本サッカー協会がオシムを選んだ理由もそれだったかは定かではありません。ただ、上のエントリーを読んでいると、何となく「テクニカルレポートありきの監督の人事」を支持しているように感じますし、当時、その考え方にかなり違和感を覚えたのは確かです。なんというか「テクニカルレポート至上主義」みたいな感じとでも言いますか? もし、オシム監督のサッカーがテクニカルレポートと違っていたら、オシム監督は日本代表の監督としてふさわしくないとこの人は考えたのだろうか? 要は「テクニカルレポートをバイブルとする」のが危険だと言いたいんです。 ■「テクニカルレポートをバイブルとする」のが危険!なぜならテクニカルレポートがバイブル化すると「われらが聖書テクニカルレポートに書かれているコンセプトと、Jリーグの子飼いのクラブでオシムという老いぼれがやっているサッカーのコンセプトがなんとなく似ている。だから、まぁオシムを日本監督にしても間違いではないんじゃない」みたいな傲慢さを感じるわけなんです。 って、これと似たようなことを以前にもこのブログで書きましたね。何度も失礼。 まぁ何はともあれ言いたいのは、オシム監督を選んだ理由は単純に「氏が名将であり実績も経験」もあるからというだけでOKではないかということなんです。 そういう理由なら、もしオシム監督のやり方がコンセプトと違うところがあっても「すべてを任せよう」というスタンスでいけると思うし、それが筋だと思うんです。当然、その後もしオシムが代表監督を辞めれば、それと合わせて「オシムのコンセプト」もいっしょにさよならとなります。 コンセプトは監督とともにやってきます。マンチーニのコンセプトをモウリーニョは引き継ぎません。何故ならモウリーニョにはモウリーニョのコンセプトがあるのだから。 ■「オシムの跡継ぎ」の人選話を代表監督人事に戻します。でお察しの通り、実はオシム選考の理由は別に何でもいいんです。オシム監督は名将でしたから、もうそれだけでOK。問題はその後なんです。つまり「オシムの跡継ぎ」の人選。オシムの後は岡ちゃんが引き継ぐわけですが、もしオシムの後任の選定方法が、私が提案する「コンセプト抜きに、ワールドカップや欧州、南米などで実績や経験があるかどうかを優先」したのなら、今の岡ちゃん日本代表は誕生しなかったと思うんです。まぁ岡ちゃんもワールドカップで指揮したことはありますし(笑)、そう考えると名将なのかもしれませんが、何はともあれ、当時のオシム後継者選びで「欧州、南米などで実績や経験」が唱えられることはあまりなかったように記憶してます。「実績や経験」よりも「コンセプトの継承」を第一に選考された感が強かったといいますか。まぁ急な人事だったので選考の為の時間が十分になかったこともあるんでしょうが、それでも「コンセプトの継承が大事」みたいな感じの後任人事となってしまったのは、残念でしたし、それは間違っていたと思うんです。 岡田 (略) オシムさんのサッカーは私にはできないと思います。オシムさん以外にオシムさんのサッカーはできないと思います。ただコンセプトに関しては、日本人が戦っていくことを考えると、誰がやっても変わらないと思います。(中略) 上は岡ちゃんの代表監督就任会見からの抜粋ですが、「オシムさんのサッカーはできない」と言いつつも、「コンセプトは変わらない」と語っているのは象徴的です。そのコンセプトとは「人もボールも動くサッカー。日本人がこれから世界と戦う上である意味、ラグビーでもよく言いましたが、接近、展開、継続というようなコンセプトは変わらないと思っています。ボールと人が動いてできるだけコンタクトを避けた状態で、しかしボールに向かっていく。ディフェンスも待っているんじゃなくて、こちらからプレッシャーをかけていく。これは変わりません」ということですが、さて、ここで岡ちゃん言うコンセプトとは例の「テクニカルレポート」に書かれているコンセプトなんでしょうか? それともオシム監督がテクニカルレポートに関係なく何となく持論で提案したコンセプトみたいなものなんでしょうか? ■コンセプト継承についてどっちでもいいんですが、何にせよ「コンセプト継承」云々を口にしている時点で、監督という仕事を甘く捉えているように感じてしまいます。この「コンセプトの継承人事」について、先のKETSEEさんという方が別のエントリーで以下のように書かれてますが、こちらに関しては、その通りだと思いますね。 ただ問題なのは、そのこれからの「俺のやり方」なるものが、日本の大方針と合致するものなのか、否かということだ。本来ならば「あなたがリーグ戦で見せたあのやり方が、これからの日本代表の取るべきコンセプトだと思いました。ぜひあれを代表で実現していただきたい!」と言える監督を招聘するべきだった。最初に書いた「岡田監督にするなら岡田流を代表の大方針として選ぶと言うことだ」というのはそういう意味だ。はたして、今回の人事はそう言いえるものだったのか。それとも単に、「非破壊という小野氏のお願いを聞いてくれる監督=(我々と)コミュニケーションの取れる監督」という条件でなされた人事だったのか。http://ketto-see.txt-nifty.com/blue_sky_blue/2008/04/post_7d46.html KETSEEさんという方はここでは「ぜひあれを代表で実現していただきたいと言える監督を招聘するべきだった」や「岡田監督にするなら岡田流を代表の大方針として選ぶ」と書かれてますが、これってつまり「コンセプト抜きに、ワールドカップや欧州、南米などで実績や経験があるかどうかを優先して選ぶ」っていう私の意見と似ている感じなんですかね? 違っていたら、申し訳ありません。 ■猿は猿を殺さない?というわけで、まとめます。今回の南アフリカワールドカップでのサッカー日本代表は、結果として「小野剛のコンセプト試し」のための大会みたいな感じにとなってしまいました。オシム監督の時は「名将の監督力と日本代表」というテーマを内在していたわけですが、オシム交代時にはそのテーマは継承されず、「オシムが唱えたコンセンプト」が一人歩きして間違って継承(またはテクニカルレポートのコンセプトが継承?)。そして最終的には岡ちゃんの「フランスW杯のリベンジ」というテーマを踏まえつつ、オシムが唱えたコンセンプトが捻じ曲がった「日本化」というお題目のもと戦ったわけですが、その戦いから得たものは何だったのか? 大会が始まってもないのでわかりませんが、南アフリカの地で勝とうが負けようが、どちらにせよ最後に残るのは「鎖国というかガラパゴス化はやっぱ良くないのでは」という哲学になるんだろうと私は思ってます。つまりは、遥か昔、オフト監督時代への回帰。まるで映画「猿の惑星」を再現しているかのような時代を超えたタイムトリップでありますが、我々はこのループが無限ループとならないために行動をおこすべきでしょう。 その行動とは、ズバリ「猿は猿を殺さない」? ではなく、「素人がオシムの言葉で遊ぶのは止めよう」または「実績や経験という言葉を軽んじるのはやめよう」ということ。その考え方こそが日本サッカー界にとっての崩れ落ちた「自由の女神」になるはずです。以上です。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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なるほど。 |
アト 2010/02/07 03:39 |
一方で「小野」と「テクニカルレポート」を主役的に持ち出してこられたのには、興味をひかれました。単なるお友達・気心人事かと思ってましたが、もう少し強いイニシアチブがあったというのは、余り考えてない視点でした。あの会見の「言わされてる」感はそれかと。 |
アト 2010/02/07 04:32 |
>アトさんへ |
doroguba 2010/02/07 15:41 |
僕も「希望」を持ったことは一度も無いですよ。(笑) |
アト 2010/02/10 00:28 |
>アトさんへ |
doroguba 2010/02/10 23:27 |
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