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zoom RSS 五輪サッカー日韓戦を前に 「五輪と造反」と「壁と卵」の相関性、または福西をダシにしてジーコ批判  

<<   作成日時 : 2012/08/10 03:01   >>

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■自分たちのサッカー

残念な結果ですけど、メキシコには決勝進出おめでとうございますと言いたいです。われわれは勝つために準備してやったわけですけど、先制して立ち上がりはよかったんですが、その後足が止まってきた。そこで今日、自分たちのペースにもってこれなかった。また、次あるのでしっかり準備していきたいです。
http://london.yahoo.co.jp/column/detail/201208080005-spnavi
(試合を振り返って)流れはよかったですが、(今大会初の)失点のあとは少し動揺があったかもしれない。自分たちのサッカーができずに悔しい結果になりました。(清武弘嗣)
そのなかでいかにミスを減らして自分たちのサッカーをできるかが課題だった。その2つが、できなかったことが勝敗を分けたと思う。(吉田麻也)
http://london.yahoo.co.jp/column/detail/201208080007-spnavi?page=1

監督が言う「自分たちのペース」と、選手たちが言う「自分たちのサッカー」が同じことを指しているのかわからないんですが、上記のインタビューの引用を読むと、よく言えば「意思統一」が取れていたと言えるのかもしれません。逆に、悪く言うなら「監督の言うことに選手たちが洗脳」されている感じがするのはひねくれた考え? 記者会見なので優等生的な発言をしただけだろって考えも同様? まぁ「自分たちのサッカー」なんてフレーズは、ありふれた、どこにでもあるような言葉といえばそれまでですし、その言葉に対して突っ込む必要はないんでしょう。ただ、なーんか引っかかるんだよな。なんというか、その優等生ブリッ子的な発言に。

■「五輪世代と造反劇」というのが私的にはマイブーム

なぜなら、前にも書きましたが、「五輪世代と造反劇」というのが私的にはマイブームでして(笑)。その視点で考えると、なんというかヤバイんですよ。あまりに選手が造反してない感じがするのは(笑)。いい子過ぎるのは。なんでかというと…。つまりは、こういうことです。もっと風呂敷を広げて考えてみましょうということ。たとえば「五輪世代と造反劇」というテーマは、もっと風呂敷広げると、つまりはサッカーにおける「組織と個のバランス論」であったり「システムと個の判断力」というテーマと同等みたいな感じだったりすると言いたいわけです。強引ですが。さらに、もっと飛躍して「サッカー=人生の縮図」という考え方を適用しますとですね。つまりは「五輪世代と造反劇」というのは村上春樹の例の「卵と壁のスピーチ」と同等のテーマとも言えるくらいの、壮大なテーマであると主張してみたいということなんです(笑)。いやー、われながら、すごい飛躍だと思うわ〜。

■壁と卵

今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20090223/1235361342
私たちひとりひとりには、形ある、生きた魂があります。システムにはそんなものはありません。システムに私たちをコントロールさせてはいけないのです。システムが私たちを作るのではありません。私たちがシステムを作ったのです。
http://d.hatena.ne.jp/nakamu1973/20090217/1234789406

というわけで、みなさん。さぁ、この村上先生のお言葉のうちの「システム」や「壁」のところを「サッカーの戦術」に置き換えて考えてみてください。サッカーの戦術が、いかに危険なものかわかるでしょ(笑) いや、危険と言うか、つまり「サッカーの戦術は生きた精神をもってない」のですよ。「サッカーの戦術に、選手たちが食い物にすることを許してはいけません」のですよ。「サッカーの戦術に自己増殖を許してはなりません」。「戦術が選手たちをつくったのではなく、選手たちが戦術をつくったのです」よ。言っている意味わからないかもしれませんが。

■未来世紀ブラジル

世の中には法律があります。学校には校則があり、会社には社則があり、スポーツにはルールがあります。コンビニのバイトにも規則がありマニュアルがあります。マクドナルドのバイトも同様です。えーい、何が言いたいかって? つまりは別にシステムはいらないってことではにないと言いたいんです。必要です。ルールやマニュアルは大切です。赤信号は渡ってはいけないんです。法を冒してはならないのです。そうなんですが、ただ、忘れてならないのは「システムが私たちを作るのではありません。私たちがシステムを作ったのです」ということなんです。システムありきでなないんですよ。わたしたちがあくまで主役なんですということ。映画「未来世紀ブラジル」の見すぎですって? 確かに、あの映画は好きだ。

■判断力

要は、何度もいうように「サッカーの戦術」は大事だけど、時と場合によっては、選手個々の判断でその戦術を変えたほうがいい場合はそうするべきということ。大事なのは勝つことであり、戦術をまもることではないんです。マニュアルを守るのも大切だけど、状況によっては、そのマニュアル通りでないほうがうまくいく場合もあるし、それを判断する必要があると言いたいわけです。

■造反と叡智

トルシエジャパンの最終ラインは、「フラット3とフラットじゃないあまる守備」を自主的に使い分けていたのは公然の秘密であるわけですが、そんな自主性って必要だと思わないかい? あれは、若者の造反的行動ではなく、大人の判断力というか叡智なわけですよ。中田英寿でいうと五輪では造反劇をやらかしちゃうわけですが、大人になったら「福西をダシにしてジーコ批判」という、ちょっぴり大人のやり方を実につけてシステムに対して戦う姿勢を我々に提供してくれたわけです。あのパファーマンスは、まぁ造反というよりは叡智に近いわけで。要は、同じ「システム破り」のパフォーマンスも、そのやり方で造反になったり叡智となったりするといいたいわけですよ。

■マニュアル厳守くん

何度もいうように「五輪世代」というのは、残念ながら子供に近いわけです。つまり、システムに対抗するときに、その方法論がヘタクソというかまっすぐ過ぎるため、どうしても造反という形になりやすい。というか、ふつうの子供は造反したくてもできない場合が多いんですけどね。部活=軍隊の延長線とするなら、そこには判断力は必要とされないし、自我の無い「考えない忠実なロボット」であることが望ましいわけですから。もちろん不良やアウトローは論外ですよ。まじめな学生であることが第一であるのは言うまでもないですが、学生時代は「マニュアル遵守の言い子ちゃん」「システム厳守くん」であることが評価されるわけですが、そんな優等生たちが社会人になると、いきなり状況が変わっちまって、いろいろと洗礼をうけるわけですよ。マニュアル人間じゃだめだと知り、システムと向き合うことを余儀なくされるわけです。で、まぁシステムと向き合って「どうする? それでもシステムに従おう楽だから」という人もたくさんいるんだけど、一部の優秀な者たちは「システムが私たちを作るのではありません。私たちがシステムを作ったのです」ということを認識するわけです。一部の優秀なものは。

で、「五輪代表」に選ばれるくらいの実力者たちは、「一部の優秀なもの」であってほしいと思うじゃない? 要はそういうこと。

何度も言うように、もちろん戦術は大事です。システムは大切です。それを守ることも大切です。守る人も好きです。ただ、一方で戦術はすべてではないというのも真理だと思うんです。


「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。


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