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zoom RSS 山下達郎インタビューを読んで。

<<   作成日時 : 2012/11/06 03:37   >>

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山下達郎が言うように、カーステレオやウォークマンやラジカセが音楽をアウトドア仕立てにした。

「夏だ、海だ、タツローだ」


そう考えると、アメリカの80年代を代表するバンド「ヒューイルイス&ザニュース」も同じかもしれない。

彼らの音楽には、ビーチと太陽と、短パンとサングラスが似合う。

サンフランシスコだ。ベイエリアだ。


最近、山下達郎の音楽観が好きだ。なぜなら彼はちゃんと真摯に戦っているから。
80年代や70年代の音楽と。

そして、なんで戦っているのかを言葉や音楽で表現しようとしている。

たとえばこのインタビューもそうだ。
そこで考えられたのが、デジタル・コンプレッサーってやつ。アナログ・コンプレッサーっていうのはピークを叩いて圧縮するんです。ではデジタル・コンプレッサーっていうのが何かと言うと下を上げる。なぜならデジタルって上が決まっているから。CDって44.1kHzの16bitでしょ?127dBまでしか入らない。127dB以上はクリッピングと言って潰れちゃうんですよ。それ以上いくらやっても上がらない。そこで何を考えるかというと下を上げる。今のヒット曲や海外のR&Bを聴くと、音が前に貼り付いてるんですよ。上の8bitくらいしか振ってないようなね。つまり下が無いんですよ。下があると、聴感的に弱く聴こえるから。だからデジコンかけまくって、どんどんどんどん前に出すんですよね。それが今のレヴェル戦争と言われるもので。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1208200027/

アナログとデジタルの違いなんて、凡人にはわからない。でも。きっと分かる人にはわかっていて、そういう人たちはきっと今の音楽を必ずしもよしとしてないんだろう。その理由の1つが、達郎が言うところの「音が前に貼り付いてる」。「下が無い」。もちろん、それが合う曲もあるんだろうし、そこまで音を利き分けることができる人はほとんどいないのかもしれない。自分もしかり。単なるノスタルジーというのもあるかもしれない。懐古主義というやつだ。そういう、風にずっと思っていた。でも、単なるノスタルジーじゃなと達郎が教えてくれたということだ。

“空間構成”とか“遠くのエコー感”とかそういうものが「RIDE ON TIME」なのであって。それは似て非なるものなんですよね。そういうリマスタリングは、たくさんありますよ。プログレとかでもね。ピアノがピアノの音じゃなくなったり、音の遠近や繊細な機微がなくなるんですよ。最初のギターの弾き語りからいきなりガーッと入ってくる。今のバンドものってみんなそうでしょ?なぜかと言えば、勝とうとするんですよ、音圧で。何に勝とうとしてるのか解らないけど(笑)どんどんエスカレートするんですよね。もっと大きく、もっと大きく。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1208200027/

達郎は「何に勝とうとしているのかわからない」といっているけど、資本主義で勝とうとしてそうしているのは確かだ。売れないと、食べていけないからね。だから勝とうとするんだろう。で、私のような懐古主義者は、その勝負自体にまったく興味が無いというわけだ。デスメタルやベノムの基地外じみた音にも興味があった時期はあったけど、別に。

自分の音楽は昔から“同世代音楽”っていうキャッチフレーズでね。昔は本当に自分と同世代、大学生とか自分よりちょっと上の人に聴かれていた。でも90年代に入って、一番ヘヴィーユーザーなのは僕よりも10歳くらい下の人たちだって事が判ってきた。現在は、それくらいの年齢の人たちが何を考えているかって言うのを尊重して曲を作っているんですよね。それこそ「希望という名の光」とか「ずっと一緒さ」とかは完全にそういう物の考え方で作っている曲なんですよ。僕はシュガーベイブでデビューした時、22歳だったけど、その時はオイルショックだったんです。僕の世代は猛烈な就職難だったけど、そんな事、気にもしてなかった。そんなの“ひとごと”というかね。でもだんだんそれが、就職して、結婚して、子供産んで、親の面倒とか実際的な問題が出てくると、生活観が変わってくる。そうすると、自分が20代で聴いてた音楽とは違う音楽の捉え方をするんですよ。音楽好きだったら音楽はやっぱり必要なんですよね。ではどういう音楽が必要か?と言えば、それは自分の生活によってくる。自分の生活観とか価値観。思想っていう大げさなものではなくても、日々生きてる日常の諸般が変わると、ものの見方が変わる。そうすると音楽の聴き方は変わるんですよ。求めている音楽が変化するので。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1208200027/

「同世代音楽」かぁ。僕と同じ音楽世代はいるのかな? きっとアメリカンポップスとUK聴いて、ロックとヘビメタを聴いて、渋谷系聴いて、アシッドジャズ聴いて、その後R&BやHIPHOP聴いて、ジャズ聴いて、最後に音楽聴かなくなった人が同世代だ。生活観? 確かに影響しているだろうね。

『ARTISAN』を出したときには「あんなマシンミュージックに妥協して、あんた恥ずかしくないのか?」って言う人もいたんですよ。何かにトライすると必ず何かを言う奴がいるものなんです。もう来年還暦なんで、ここ5、6年はそういうのにまったく動じませんけどね。今はもうそういう雑音一切関係なしで出来るようになってますから。でも20代、30代はそれなりに多感さがあったから、それなりに傷付きもした。そういう時にいつも思っていたのが、自分はどういうスタンスで音楽をやっていくべきなのかっていうこと。それは自分と近い考えの同世代に向けてやるということ。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1208200027/

マシンミュージック? そういえばテクノも好きでした。ケンイシイ。クラブにも通っていた時期があったね。まさに生活観だ。「あんた恥ずかしくないのか?」って思っていた人もいるんだろう。多感さ。傷。それも踏まえた音楽だ。僕はあまり、そういうことを音楽に求めはしなかったけど。ああ、アジアのビーチで一人でSADEなんて聴いていたときはきっと「傷を癒して」いたのさ。ロンドンのカムデンタウンでエディーリーダーのライブにふらりと立ち寄ったのは暇だったから。

ロックミュージシャンって言うのはピークを迎えるのが20代から30代にかけてなんですよね。そういう意味では、40歳くらいに、ある種のターニングポイントを迎えることになる。40代から先に路線変更をして成功をする人もいれば、そこから下降線をたどる人もいるわけです。そのターニングポイントで、またそこから先が結構変わるんですよね。でもそれは自分で全部決められるわけじゃない。聴く人の意志もあるわけで。僕は、それこそ「Don't Trust Over 30」みたいな時代に生きてきたので、当時僕にかぎらずみんな「30過ぎてロックなんて出来るわけないだろう」と思ってた。30歳から先の展望なんて全然なかった。僕は結構下積みが長かったから、30歳過ぎたらレコードプロデューサーになろう、裏方で生きて行こうと思ってたんです。ところが、ムーンレコードを作っちゃったんですよね。で、ビジネスパートナーに「90年まで現役で頑張ってくれ」と言われて。だから、90年に37歳になった時に、最初で最後の武道館をやって引退しようと本気で考えてたんですよ。この話するとみんな笑うけど(笑)。ところが89年に「クリスマス・イブ」が1位になったりして生き残っちゃったんですよね。それでも僕は最終的にはスタッフワークに戻っていくだろうなと、40代中頃までは考えてたんです。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1208200027/

フリッパーズギターはロックでないと思っていた。いとうせいこうが絶対にロックではないと思うのと同じ理由で。ロックでないと思ったから、彼らを聴いた。渋谷系に走った。ロックだと思っていたら絶対に聴かなかっただろう。聴かなかったはずさ。アクセプトのウドダークシュナイダーが彼らと同じ音楽とは思えないし。ただ、友達にアズティックカメラみたいな髪型のやつがいて、そいつがロックなら小山田と小沢もロックだったのかもしれないと最近思うようになってきた。バイクを盗んで走るのも、もちろんロックで無いと思っていた。それは歌謡曲だ。中森明菜の少女Aと同じだ。前にも書いたかもしれないが、修学旅行のバスの中で3人除いて「米米クラブ」のカラオケをしていた。その仲間はずれの3人が何をしていたのかって? ロックを聴いていたんだよ。ロックを。達郎が言うターニングポイントは学校卒業だろう。デビューとも言う。厳密に言うと大学在学中の途中からロックに興味は無くなっていた。ストーンズは好きだったけど、本当に好きだったのは彼らのルーツとなったブラックミュージックとわかったからだ。ただし、それに気がつくまでにポールウェラーさんの薫陶をうけることになる。ミックタルボットがガリアーノのCDに参加していたことも大きかった。つまりはアシッドジャズだ。

アシッドジャズを探しにロンドンへ旅立った。サッカーではなく、アシッドジャズだ。ソウルジャズレコードと言うちっぽけなレコード屋を探し当てた。本当にちっぽけだった。新宿レコード以下だ。夜はクラブミュージックで踊りに行った。黒人とジャズのことについて話した。黒人が臨んでいたのはアシッドジャズの話だったのかもしれないけど、僕は「山下洋輔が有名だ」とだけ答えた。彼は興味が無くなったのか、どこかへ消えた。日本人が何人かいたことも覚えている。彼らもロックが好きだったのか? 渋谷陽一やレッドゼッペリンの薫陶を受けたのだろうか?

表参道の骨董通りにアシッドジャズ系のクラブがあった。ユナイテッド・フィーチャー・オルガニゼーションのメンバーがDJをやっていたクラブだ。ブラジル系のジャズなどを好んで回していた松浦さんが、アシッドジャズから山下達郎の「ファンキーフラッシン」へと繋いで、みんなを踊らせた。

誰かを誘って聴きにおいでよ

これから始まる夜を過ごそう

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