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zoom RSS 「サッカー監督の仕事」と「選手たちに任せること」 または「空気」と「言論弾圧」

<<   作成日時 : 2013/01/12 03:03   >>

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■選手たちに試合を任せる

「監督同士のカードの切り合いで勝負を決めるようなサッカーはしないでほしい」と。選手は、チェスの駒でもないし、ポーカーのカードでもないのだから。ピッチ上に選手たちを送り出した後は、選手たちに試合を任せて、それでも十分に戦えるようなチームを作ってほしい。もちろん、どうしてもうまくいかない場合に、外から指示を送るなり、交代のカードを使うのは当然だが、試合前からカードの切り合いのつもりで戦うのはやめてほしいのである。
http://www.jsports.co.jp/press/article/N2013010613301602.html

最近、後藤さんの意見に賛成することが多いんですが、これもまったくもって同意です。プレイを見ていると、なんとなくわかるんですよね。判断しているか、考えてプレイしているかどうかって。これはプレミアリーグのチェルシーの試合を見ていても同じ。同じパスでも「考えてプレイしているな」というプレイと、「これは何も考えてないな」というプレイがあって、後者のプレイをしている選手からは何も生まれないことが多いなと。これは監督からの指示があるなしに関係無いレベルでの話です。車の運転で例えると「赤信号は止まる」「車間距離は適切にあける」というレベルの話と同様。

■「言論弾圧」と「言論、議論の意味」

言論弾圧というのは、逮捕されたり発禁になった、物理的な妨害が出てきてのことだ。反対コメントがたくさんつく――それはむしろ、議論がある程度は活発に機能していることを示し、言論の自由にとってよいことなのに。

 実はこの欄はGQのウェブページにも公開されている。そして以前の原発関連の話は、かなり否定的なコメントをツイッターやブログで大量に集めた。さらに作家の矢作俊彦がそれに連続批判ツイートを加えたことで、その数はさらに増した。中公知識人たちにしてみれば、恐ろしい言論弾圧だ。

 でも当たり前のことなんだけれど、発言するというのは、それに対する批判の可能性を引き受けることでもある。でも何かを言えば、必ずそれに反発する人はいる。あらゆる人が文句なしに賛成する発言なんてのはないし、またそんなものは発言するまでもない。その反発はどこに根があるのか、その反発する人々をどう説得するか、どこに歩み寄れる点があるのか。それを知って自分の発言や見解を修正する――そこに言論や議論の意味があるのに。
http://cruel.org/gq/gq201111.html

先日のミネキ氏の話題はもうお終いでいいのかもしれないけど、ここに書いてある「言論弾圧」や「言論や議論の意味」という観点から考えると、なんかモヤモヤするものがあるのは確かだ。「空気を読むこと」が必ずしも悪いことではないと思うし、「空気を無視すること」の難しさもわかるんだけど、個人的には黙るよりもトコトン話し合うことのほうが有意義であると思っているんですよね。そういう、バカ真面目な姿勢がバカをみることも知ってはいるんだけど。

■個性を尊重し、独創性を重んじる

米国人は個性を尊重し、独創性を重んじます。ほかの人と違うことを尊ぶだけでなく、人よりももっと良い、もっと面白い、もっとエキサイティングなアイデアを出した人が偉いという価値観がある。だから、子供たちも早くからディベートの教育を受け、自分らしさを大事にして新しいアイデアを提言し、皆に貢献しようとします。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0700O_X00C13A1000000/?df=2&dg=1

「個性」「独創性」「自分らしさ」というのは、自分だけの問題じゃないんですよね。これは、どちらかというと「空気」というか社会の問題であると思うんです。サッカーでも同様ですよね。「個性」となるのか「勝手なプレイ」となるのかは、状況の問題と合わせて、チームメイトなど周りの「空気」の問題でもあると思うんです。

■空気とゲーム理論

「空気」をゲーム理論でいう共有知識(common knowledge)と考えると問題を理論的に扱える、というのが私の作業仮説である。これは他人も私も同じことを知っていることを私が知っていることを他人が知っている・・・という無限階の知識で、以前の記事でも書いたように集団行動を考えるとき重要だ。
単にみんなが同じことを知っているというだけでは、相手がどういう行動をするかが予測できない。厳密にいうとAumann-Brandenburgerが証明したように、ナッシュ均衡が成立するための十分条件は次の3つである。
1.ゲームの構造について全員が同じ知識をもっている
2.合理的であることを互いに知っている
3.全員の予想が共有知識である
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51814319.html

「空気」「ゲーム理論」(「ナッシュの均衡」など)はサッカーにおいても当てはまることであると思っているんですが、まさにサッカー監督のすべき仕事って「チームのコンセプトについて全員が同じ知識を持たせる」「合理的であることを知らせる」「全員の予想が共有意識であるように教える」ことであると思うんですが、どうでしょうか?
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