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zoom RSS 宮台真司さんの2年前のインタビューをキュレーションされたので。

<<   作成日時 : 2013/05/11 15:29   >>

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宮台真司さんの著書に「終わりなき日常を生きろ」というものがある。内容はよく覚えてないんだけど、そのタイトルが非常に好きで、「フリッパーズ・ギター」や「ゼロジェネレーション」的なものとセットにして記憶の奥底に格納されている。

「ゼロジェネレーション」とは、要は世代論、社会学に毛が生えたようなものであると思っている。そんな「世代」が本当に存在していたのかは非常に怪しいんだけど、当時は「ロック的な社会学アプローチ」というスタンスが心地よく感じたのだ。そして今、年をとったせいか、人間の思想や行動を妄想して語ることに面白さを感じるようにもなった。

最近よく「グローバル」という単語を聞くが、そういう時代だからこそ、逆に国家とは何かとか「日本人って何」みたいなことに興味が沸くのかもしれない。

ということで、その「終わりなき日常を生きろ」の宮台さんの2年前のインタビューをキュレーションされて読んだので、気になったところをいくつかピックアップしてみた。

■個人で支え合う人間関係・つながりを持っている者と持たない者の格差

僕はまったく逆の印象ですね。というのは、被災地の避難所でも、個人で支え合う人間関係・つながりを持っている者と持たない者の格差を見せつけられました。たとえば、創価学会の避難所は物も潤沢だし、配給物資も公平に、順当にシェアできるしくみがある。だから取り合いになったり、殺伐とした対立なども起こりえない。それは教会などのコミュニティと同じで、たとえば欧米などはハリケーンや津波で被災しても行政や自治体は動かない。救援物資のディストリビューション(配給)をやるのは、教会なんです。
http://salitote.jp/people/interview009-1.html

「宗教」の良し悪しについては、いろいろ意見があると思うけど、ここで語られているのは「良し」の部分になるのでしょうか。宗教というか組織論なのかもしれないけど、要は「近所付き合い」とか「町内会」という組織が崩壊しているということなんでしょう。SNSの時代とか、キュレーションの時代とかいわれている今、「近所付き合い」「町内会」の重要性というのは見出しにくいと思うし、そういう「近所」という組織を構築する方法論を持ち合わせてない人が多いという気もしてます。まぁ、地域にもよるんでしょう。数年前に埼玉県の某市に住んでいたことがあるんだけど、そこでは夏祭りで「ダンス甲子園」みたいなイベントが毎年開催されていて、「町内会のダンスチーム」が自然(?)発足して盛り上がっていた印象はあるんですが、今思えば、それは「地域コミュニティ活性化」の1つの成功例なのかもしれません。個人的には「なんで、そんなに一生懸命なの?}と気持ち悪く感じていたんですが、そういう「冷めた人たち」が単なる反主流でなくなったことが、今日の問題点なのかもしれません。

■「率先避難者たれ」という理屈

そうです。率先して避難するというのは、「逃げるとかっこ悪いんじゃないか」というまわりの空気をぶち破ること。片田さんが小中学生に教えたのは、自分だけ助かれ、逃げろということではなく、「率先避難者たれ」ということ。自分の命を最優先に守りなさい。そうすることで、みんなも逃げる。自分が逃げることでみんなの命が助かるんだと、真っ先に逃げる理屈を子どもたちに与えた。
http://salitote.jp/people/interview009-2.html

ここで語られている、「理屈を与える」というのは非常に重要なのかもしれません。同じ行動でも「言い方」や「考え方」が違うと、行動に対する「心理的な側面」が変わってくるのは、その通りだと思います。要は古い言葉で言うと理屈さえあれば「ダサい」「ナウい」という価値基準に変化をもたらすこともできるという感じでしょうか。

もちろんファッションなどで絶対的な「ダサさ」や「かっこ悪さ」というのは存在するとは思うんだけど、ちょっとした「言い方」でそれが変わることなんてたくさんあるんですよね。もっとも、「古い価値観」のままでも今日そのまま受け入れられているものもあるわけで、結局はその必然性ってことなんですかね? 「お正月」「お盆」「お花見」とかは今でも大好きな人がたくさんいるわけですが、その文化が残っているのは「楽しいからいいじゃん」という平和ボケ的な理論からなんだろうか。うーん。きっとそうなんだろう。

■システムが崩壊したら意味をもたない

僕は学生たちに、親の喜ぶ会社に入ったら終わりだっていってます。ほんとにできるやつは、グーグルやアクセンチュアに内定をもらっても断る。自分が「こいつはスゴい」と信じられる人間がやってるグローバルな小さいNGOあるいは、小さい企業に入る。すでに大きくなった会社に未来はないから。親にしてみれば、安定した人生のレールを敷いてあげることが子供にしてあげられる大事なことだったのかもしれないけど、今はもうないんだから、安定したレールなんて。だったら、その子の人生にとって意味のある経験をさせてやらないと。
http://salitote.jp/people/interview009-3.html
いい学校に入れば安心という親もいるみたいだけど、僕はまったく意味がわからない。この子が安心な状態かそうでないかなんて、毎日子どもを見ていればわかることでしょ。そう言う意味でも、無自覚に名門校、一流校、大企業というシステムに依存してるわけ。でもその安心って、システムが上手く回っていて初めて意味を持つもので、システムが破壊したら意味を持たないということを、僕たちはこの震災でまざまざと思い知らされた。これからどうやって生き延びられるか。それは国や行政に委ねる問題じゃなく、自立できる自治体、自立できる個人からやっていくしかないんです。http://salitote.jp/people/interview009-4.html

やっぱ「お金」と「平和」と「バブル」と「成長期」というキーワードなんですかね。そういう時代を生きてきた我々が、そういう時代ではなくなった時に、どう生きるのか? 「昔に戻る」のか「新しい価値を創造」するのか? 個人的には後者が必要であると思うんだけど、結局のところ「新しい価値の創造=昔の価値の理屈変え」ということだったりすると、ちょっぴり複雑な心境になったりしますね。

■キュレーション

「そんなもののどこがジャーナリズムなのか!」と怒る人もいるかもしれない。たぶん古い新聞業界や出版業界にいる組織ジャーナリストにとっては、キュレーションをジャーナリズムと呼ぶのは耐え難い屈辱に映るだろう。しかし、考えても見てほしい。ジャーナリズムの本来の役割は、何かのことがらについて専門家から取材し、そのことがらが意味すること、それがもたらす社会的影響や未来像について読者にわかりやすく提示することである。
http://pressa.jugem.jp/?eid=181

最後に、キュレーションについて。要は「戦後の日本のルール」を誰が壊して、誰が「新しいルール」を作れるか、または「作れるのか?」というパワーゲームの要素も含まれているんでしょう。世の中にはそういう「既存のルール」がたくさんあって、メディア・ジャーナリズムの分野で、それが崩壊しつつあるということなのかな。「インターネット」や「フリー」というものの台頭によって。で、既存のメディアが崩壊せずに生まれ変われるのか? それとも、既存のメディアが崩壊して、新しいメディアが立ち上がるのか? テレビゲーム業界でも似たような状況があると思うんだけど、たとえば「『パズドラ』ガンホー」みたいな存在がメディア・ジャーナリズムの分野でも産まれる可能性はゼロではないんでしょう。もっともガンホーが「新しいメディア」な存在と言えるのかは微妙な感じではありますが。
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