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zoom RSS モウリーニョ論 20130612

<<   作成日時 : 2013/06/12 02:42   >>

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「モウリーニョ論」の続きでも語ろうか。レアルマドリー時代は「レアルよりも自分(モウリーニョ)を大きい存在として扱っていた」ことが罪だったという意見があるみたいですが、個人的にはそれは別に罪ではないと思う。それで結果がでなかったことは非難されてしかるべきだと思うけど、「大きい存在として振舞うこと」自体は別に間違ってないと思うからだ。それが監督の特権というものだと思うしね。たとえばトルシエが日本代表で「フラット3」を採用したのは、別に悪いことではない。個人的には「4バック」が好きだが、戦術や起用する選手を決めるのは監督の仕事だ。
自分の仕事を成し遂げるために、自分のやりやすいような作戦を取るのは間違いではない。それが彼の仕事だし、そのために彼を監督として雇ったんだから。同様にオシムが日本代表監督のときに千葉の選手をたくさん起用いたのだって別に間違いではない。仕事を成し遂げるために、自分の流儀を採用することが許されるのが監督だと思うから。もちろん、その監督のやり方に対して反対意見もあるんだろうし、嫌いな人もいるんだろう。ただ、それと「レアル(チーム)よりも自分を大きい存在として扱った」として問題視するのはまったく違うのではないだろうか? それはサッカーの監督のというものを、少しもわかってない気がするし、サッカーに限らず「監督」というものを分かっていない気がする。もっともオーナーやプロデューサーという「監督を雇う人」の権限というのも少なからずあるとは思うけど、彼らが監督を雇う以上「監督の好きなようにやらせる」のが筋だ。


”「サッカー」よりも「自分」を上位に置く”ことだって別に間違いではない。サッカーは機械でなく人間が行うスポーツだから面白いのであって、そう考えれば「サッカー<自分」であることはそんなにおかしいことではない。もちろん八百長やルール違反は論外ですよ。サッカーという「ルール」に乗っ取って、「自分」を主張するのはある意味、サッカーの醍醐味だと思う。たとえ監督だとしても。


なので、モウリーニョのサッカーについて、あれは”「モウリーニョの手腕」であって「サッカーの醍醐味」ではない”という意見はナンセンスであると思うし、そう感じる人はあくまで「その人の個人的な主観」であることを認識すべきだ。そういう人に限って、ジーコの「ブラジル的なサッカーの醍醐味を大切にしすぎるサッカー」を見てブチ切れたりするんだけど、モウリーニョスタイルにせよジーコスタイルにせよ「どちらもサッカーの醍醐味」であると思うんだ。

あと、モウリーニョに「サッカー愛」がないと考えている人もいるみたいだけど、それは大きな間違いだね。彼はサッカーを真摯に愛しているし、だからこそモウリーニョのサッカーはおもしろいんだから。


というような話ができることこそが、モウリーニョがチェルシーの監督に戻ってきてくれたことでの「幸せ」のひとつなんでしょう。

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