ボールのないところのでの動きも大切ですが、あるところの動きもね 松井と中田英の発言を考察

■ルマンの松井の魅力であり武器は、そのドリブル!?

前週、ルマンはパリ・サンジェルマンをパルク・デ・プランスで葬り去っている。決勝点となったPKを得るきっかけのフリーキックは、松井のドリブル突破がファウルを誘い得たもの。彼のドリブルはルマンの大きな武器であり、パサーばかりが突出する日本代表にも魅力であった。松井自身もドリブルに対するこだわりは常に口にする。
 「チェルシーとかバルサとか、自陣のフリーキックから点をとってるじゃないですか。ああいうのを見るとフリーキックは大切だと思う。仕掛けないとファウルはもらえないし、代表でもドリブルで仕掛けて、フリーキックをもらえるとチャンスになる。それだけで使ってくれても全然いいと思う」http://number.goo.ne.jp/soccer/japan/649/20060323-f2-1.html

 「ドリブル」、「仕掛け」。攻撃において、こういうプレイができる選手というのは重要であると思ってます。で、ルマンの松井が、このようなプレイを意識しているっていうのは非常に頼もしいと言いますか、個人的にうれしいんですよね。

たまたま先日、フランスリーグアン「マルセイユ対ルマン」の試合を後半からですが見ることができたんですが、その試合でも松井は果敢に「仕掛け」てました。右サイドでボールを持った松井が、マルセイユのDF2人を背にしてキープし、足裏を使ったフェイントでDF2人の間を割って入って抜くシーンがあったんですが、こういうトリッキーで魅せるプレイを強豪マルセイユ相手に臆することなくやってみせたのはすばらしいなぁと思った次第です。DFにとってはこういう「個の技術を駆使した仕掛けプレイ」は、何よりも嫌なものだと思うんです。

「これ以上負けられないから僕らも必死だったよ」と、松井をマークしたゾコラは言う。 「彼にボールが収まるとやっかいだから、僕も本気で潰しにかかった。手ごわい相手だからね」http://number.goo.ne.jp/soccer/japan/649/20060323-f2-1.html

■ボルトン中田英が重要視するのは、「ボールのないところでの動き」!?

一方、ボルトンの中田英はこのような発言を自身のHPでされています。

「ボールのないところでの動きが何よりも大事」
「バルセロナの選手のすばらしいところは、選手の動きの質と量」

このようにドリブルよりも「オフザボールの(仕掛けの)重要性」を説いていらっしゃいます。確かに、これは必要であると思いますし重要であると思いますが、「何よりも大事」とまで言われてしますと、個人的にはあまり賛同できなかったりするんですよね。もちろんサッカーは11人でやるわけです。個がボールを持っている時間なんて90分のうちほんの数分なわけですし、それ以外の「ボールを持っていない時」が重要だとは思います。ただ、松井が言う「ドリブルによる仕掛け」と、中田英が言う「オフザボールの仕掛け」の2つの思考を単純に比較して考えると、松井のほうがどちらかというと主体的で、中田英のほうが受動的に聞こえてしまうのは私だけでしょうか? まぁ中田英の発言は「現役の選手」としてのそれでなく、「評論家的な見地」からの発言であるとは思うんですが、松井の言う「ドリブルでの仕掛け」という発言を、中田英的にはどう感じているのか興味深いところです。
①「俺もそう思っているし、そういうプレイを心がけている」
②「俺はそういうスタイルのプレイヤーでない」
③「そういうムトゥみたいなプレイも時には必要かも」

③はもちろん冗談です。で、言うまでもなく中田英ももちろん「ドリブル」します。ですが、私が見る限りにおいては松井と中田英のドリブルは「違い」ますし、中田英のドリブルは松井のそれと比べて怖くないように思うわけです。もちろん、それ以外のプレイ(例えばパスやフィジカル?)では中田英のが「優れている」部分は多いと思います。ですが、どうも「ドルブルでの仕掛けやミドルシュート」など、相手チームにとっては厄介で自チームにとっては頼りになるプレイに対する意識が、もしかしたら低いのかな? って、最近の中田英のプレイや言動から感じてしまうんですよねぇ。

■サッカーでは時代によってスタイルが変わり、そのスタイル(時代)ごとに「重宝される選手」や「切り捨てられる選手」がいるわけで

まぁもともと中田英のプレイは「ドリブル」や「フェイント」というボールを扱うテクニックよりも、その戦術眼やパスの展開力、フィジカルが魅力であったと思うんで、今更「ドリブル」「個の仕掛け」の意識に対して云々言うのは間違いなのかもしれません。ですが、なんとなーくですが、そういう中田英のサッカースタイルが「時代とずれて来た」って気がしてしまうんですよね。「マンツーマンDF」「ゾーンプレス」「3-5-2」「トップ下」「ウインガー」(順不同)などなど、サッカーは時代ごとに少しずつ変化して今に至っていると思ってます。要は「トップ下を置くシステム」が流行ったり、「WBを置くシステム」が流行ったり、「ウインガーを擁するシステム」や「3ハーフを置くシステム」が流行ったりして、そのスタイル(時代)ごとに「重宝される選手」や「切り捨てられる選手」がいたりするわけです。

例えば、中田英が台頭する前に前園という選手がいたのを覚えてますでしょうか? つい最近引退して解説などされている前園選手ですが、彼の現役時代の持ち味は「切れ味鋭いドリブル」であったのですが、そのスタイルがうまく時代に合わずに潰れてしまったところもあったのではないかと個人手には思っていたりするんです。もちろん、スタイル以前の問題として前園のプレイが精彩を欠いてしまったところもあって「潰れた」のかもしれませんが、少なくとも今から約8年前のフランスW杯あたりでは「前園のドリブル」よりも「中田英のスルーパス」が重宝された風潮があったと思うし、日本(や世界?)のサッカースタイルも「ドリブラー」よりも「パサー」のほうが生きるスタイルを掲げていたと思うんですよね。まぁ今のジーコ日本代表においても「パサー」は重要であるのは変わらないですし、「ドリブラー」を用いるようなシステムを採用しているわけではないのですが(笑)、ただ以前よりも攻撃陣に「個の仕掛け」や「ドリブルによる仕掛け」が求められているように感じるし、そういうプレイができないとゴールがなかなか生まれないし、試合にも勝てないようになってきていると感じるのは私だけでしょうか?

■欧州サッカーではドリブラーが再評価!? まぁチェルシーだけかもしれませんが…。

ちなみに欧州のサッカーシーンに目を向けても、そういう傾向をちょろっと感じたりします。サッカー評論家の西部氏が、何かの本でチェルシーのサッカースタイルを「ドリブラーを復活(?)させた」みたいな表現されていたんですが、チェルシーではロッベン、ダフ、ジョーコール、シェーンライトフィリップスの「4人のドリブラー」を擁して、攻撃時にはその「個のドルブル突破」を大きな武器にしているわけです。チェルシー以外でもバルセロナのメッシ-のその「ドリブル」がチェルシーを苦しめたのは記憶に新しいですし、チェルシーをCL敗退に追い込んだのは天才ロナウジーニョの「ドリブル突破からのシュート」であったわけです。CLレアルマドリー戦でのアンリのドルブル突破からのゴールも強烈なインパクトがありました。

「ドリブラーの復権」?

もちろん「パサー」も必要であるし、「ボールのないところでの動き」も必要なのは言うまでもないですが、それよりも時代は「オンザボールの動き」を求めているというのは言いすぎでしょうか?

もし全盛期の前園が今のサッカーシーンにいたら、きっと重宝されていた活躍していたのではないかと思うんですが…? ってわけで、ちょっと極端で突っ込みどころ満載の内容でしたが、松井と中田英の発言の違いで思ったことを書いてみました。突っ込みよろしくです(笑)。
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