カンナバーロのバロンドール受賞に意義でなくて異議有り! 八百長クラブからの選出はおかしいでしょ

■1年間を通じてのプレイについて評価する以前の問題として

最後に今年のバロンドール(欧州最優秀選手)にカンナバーロが決定したニュースについて。カンナバーロが受賞したことについて、海外から批判的な感想が聞かれるが、イタリア国内でもわずかながら、彼の受賞に首を傾げる声を耳にする。
 イタリア人の多くは、ブッフォンこそがバロンドールにふさわしいと考えているようだ。ここで個人的な意見を言わせてもらうと、ワールドカップ(W杯)があった年の受賞者は、大会で活躍した選手が獲得するケースが多いし、評価の基準として何よりもW杯の活躍が重要視されることは正しいと考える。
 もし、1年間を通じてのプレイについて評価するなら、カンナバーロよりブッフォンやアンリの方が、バロンドールに値するプレイを見せていただろう。ただしカンナバーロの場合、このW杯期間のプレイが、アンリやブッフォンよりも突出して良かった。そして、最も評価を得やすいアタッカーやファンタジスタが、W杯では目立った活躍しなかったことも大きかった。唯一、ジダンが活躍したのだが、あの決勝での頭突きが致命傷となった。もし、あの行為がなくて、フランスがPK戦を制していたなら、バロンドールはジダンの手に渡っていただろう。いや、フランスが2位で終わっても、ジダンが受賞していたと思う。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0607/italy/column/200611/at00011422.html

バロンドールについて。今回のカンナバーロの受賞は、正直、納得してない。それは彼がDFだからだとか、プレイがよくなかったからだとかブッフォンのほうがふさわしいと思うからとか、そういう理由ではない。納得してない理由は、単純に彼が昨年、セリエAのユベントスでプレイしていたからだ。昨年のユベントスと言えば、モッジシステムが発覚しスクデット剥奪されたわけですが、そんな八百長したクラブの選手がどうして欧州最優秀選手として受賞するのだろうか。意外というか、ちょっと理解に苦しみます。八百長クラブでプレイしていた本人も、どうしてそんなたいそうな賞を自ら辞退しないのだろうか。罪の意識はこれっぽっちもないのだろうか。

■八百長クラブでプレイしていたことと、受賞は別物か?

もちろん、僕に再び高いレベルでプレイするチャンスを与えてくれたユーベ(ユベントス)や、素晴らしい2年間を一緒に過ごして2度のスクデット(セルエA優勝)を獲得したユーベのチームメイトのみんなにも感謝しなければならない。残念ながら、そのあとはく奪されてしまったけどね。それから、一緒にイタリアサッカー界の歴史の1ページを刻んだ、イタリア代表のチームメイトにも感謝している。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20061128-00000010-spnavi-spo.html

「2度のスクデット(セルエA優勝)を獲得したユーベのチームメイトのみんなにも感謝しなければならない。残念ながら、そのあと剥奪されてしまったけどね」ってのは、紛れもないカンナバーロの本心でしょう。彼はイタリア代表での活躍のみならず「八百長したユベントス」で活躍しそのチームメイトに助けられたから受賞できたという考えは正しいと思うし、感謝してしかるべきだと思いますし、そのチームメイトを含め所属していたユベントスの八百長が発覚し地取る剥奪されて2部に落ちてしまったのは、「残念ながら、剥奪されてしまった」という被害者の一員という意識なんだろう。この「残念ながら、剥奪されてしまった」という言葉に、カンナバーロの罪の意識のなさを感じてしまいます。悪いのはモッジであり、ユベントスの選手や監督はその八百長に振り回された被害者であって、まったく悪くないという考えとでも言いますか。もしかしたらモッジも被害者であるという認識なのかもしれませんが。こういう考えはカンナバーロのみならず、ユベントスの選手や元監督も同じだと思いますし、もしかしたらイタリア国民の中にも同じような考えを持っている人がいるのかもしれません。ですが大半のイタリア国民は八百長の罪を重く考えていると思ってましたし、イタリア以外の国では、もっと今回の八百長事件を重く深く考えているものばかり思っていました。そう思っていた矢先の、今回のカンナバーロのバロンドール受賞。どうやら欧州のサッカー界は、それほど今回の八百長事件を深刻には考えてなかったみたいですね。そういう気がしてきました。確かにユベントスの八百長とカンナバーロのプレイはまったく関係ないのかもしれません。まったく別物なのかもしれません。それにカンナバーロが八百長を仕組んだわけではないですし、そういう意味では罪はないんでしょう。

■本人が八百長に直接関与してなければ、それでOKなのか?

ただ本人が直接関与してなくても、「周りがお膳立てした八百長」というものだってあると思うんです。たとえばボクシング。戦う本人は八百長してなく何も知らずに一生懸命戦っているけど、その裏で「八百長のシナリオ」を書いている人がいて、その通りに八百長が行われてしまう場合があったとします。誰がどう見ても負けているはずなのに、判定ではなぜか八百長を仕組んだ方が判定勝利。八百長のシナリオどおりに優勝しますが、何かおかしいってことで調べられ、後日、その八百長が発覚しタイトル剥奪する事件に発展したとします。八百長の事実が認められ、罰せられ、世間にそれがあらわになるわけですが、そういう事件に発展したのにもしタイトル剥奪されたボクシング選手が「年間最優秀賞」を受賞したとしたら、どう思いますか? ちょっとおかしいと思いませんか? 

■八百長ユベントス」のメンバーでありそのチームでプレイしていたことは事実

もちろんボクシングとサッカーでは違うと思いますし、八百長にだっていろいろあるとは思います。カンナバーロは某ボクシング選手とは違って、受賞に値するすばらしいプレイをしていたと思いますし、八百長ユベントスでのプレイよりもドイツW杯でのイタリア代表での活躍ぶりが評価されとところが大きいのでしょう。そういった意味でカンナバーロは、バロンドール受賞にふさわしいプレイヤーなのかもしれませんが、ただ「八百長ユベントス」のメンバーでありそのチームでプレイしていたことは事実です。で、その八百長ユベントスの選手をバロンドールに選ぶことは、私的にはまったく納得できないし、選ぶのはおかしいと思うわけです。

私は今シーズン、セリエAの試合は1試合も見ていません。セリエAが八百長したことに対してまだ許せてないところもがありますし、セリエAにその罪の意識があまり感じられないからです。もしCLでチェルシーとセリエAのチームが対戦することになったら仕方なく見ることになんるのでしょうが、そうならなかったら今シーズンは1試合も見ないでしょう。私が八百長に対して深く重く考えすぎなんでしょうか? 八百長は横において、カンナバーロおめでとうと言えばそれでOKなんでしょうか? 八百長に対する考え方は人それぞれなのでしょうが、私は非常に「深刻なもの」として捉えてます。サッカーが好きですし、いつまでも好きでいたいから。
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