オシム監督が中田英寿について発言したんで、10年目のことを朧気ながら思い出してみた

■オシム監督が中田英寿について発言

中田は第1戦、第2戦には出場したが、最終戦には出場しなかった。ブラジルを破った後のナイジェリア戦。日本はアフリカ選手特有の身体能力に圧倒されていた。だが、U-17世界選手権でナイジェリアと戦った経験を持っていた中田からすると、そのとき程ナイジェリアの選手たちを脅威には感じなかった。そのため、守備的な布陣に異を唱え、守備陣にも攻撃参加を要求したのだった。だが、その中田の考えは周囲との軋轢を生んでしまい、最終戦ではスタメンを外れることになってしまった。
このオリンピックは、これまで多くの世界大会に出場してきた中田のような若い選手と、海外の強豪との試合を経験してこなかった年長者たちとの意識の違いが表れた大会となってしまった。http://www.ocn.ne.jp/sports/espa/nakata/memory/index.html

オシム監督が中田英寿について発言したみたいで。実はちょうど、取り上げようと思っていたんですよね中田英寿のことを。私は晩年の中田英寿については嫌っていましたが、彼の若かりしころからパルマでプランデッリと揉めるくらいの時期までは大ファンでした。上に抜粋した文にも書かれているように中田英寿は「多くの世界大会に出場してきた」からかわかりませんが、常に世界(欧州サッカー)を意識してプレイしていたと思うし、その姿勢が見ているこちらにも伝わってくる感じでした。もちろん中田英寿の前にも奥寺とかカズとか海外でプレイしていた選手はいたんですが、中田英寿の存在はそれとはまた別のものだった気がしてます。まぁJリーグ誕生やワールドカップ初出場などなど、日本サッカー界が急成長を遂げていたという時代背景の影響もあったんでしょうが、その急速な日本サッカー界の成長スピードとまるで呼応するかのように中田英寿の存在があったのかなと思う次第です。「呼応」というか「牽引」という言葉のほうがぴったりかもしれませんが、中田英寿が日本サッカー界と欧州サッカーの距離をぐんぐんと縮めていったと言っても過言でないと思うんですよね。

■中田英寿が牽引した、日本サッカー界と欧州サッカーの距離

だが中田は、「ワールドカップも盛り上がったんで、こんどはJリーグをよろしくお願いします(中田語録/文藝春秋)」とコメントするなど、やはり冷静だった。もちろん、大きな目標を達成した嬉しさはあったが、狂喜乱舞するようなことはなく、淡々と次を見据えていたのだった。http://www.ocn.ne.jp/sports/espa/nakata/memory/index.html

こちらが当時の映像ですが、10年前ですか? まぁ何度見てもいいですね。ここで中田英寿の言う「Jリーグをよろしくお願いします」という言葉の意味については、当時いろいろな解釈がされてましたが、たぶん本人的には「自分は欧州でプレイする」って気持ちがどこかにあったのは間違いないでしょう。

6月14日、フランスワールドカップグループ予選日本対アルゼンチンのピッチに立った中田の髪の毛は、金髪に染められていた。それは、ひとりでも多くの海外スカウトの目に留まるための策であり、高校時代から意識し始めた海外でのプレイを、はっきりと視野に入れたという考えの表れでもあった。
http://www.ocn.ne.jp/sports/espa/nakata/memory/index.html

本当に「海外スカウトの目に留まるための策」だったのかどうかわかりませんが、彼のプレイを見ているこちら側には「アピールしたい」という気持ちは伝わってきたのは間違いないところですかね。

■中田英寿はその「1人」と「11人」のギリギリの境界線のところでプレイしていた

って、このまま中田英寿の現役時代をプレイバックするのもいいですが、きりがないんでここらで本題へ。結論から言いますと今と10年前では状況が違うとはいえ、今の選手よりも10年前の中田英寿のほうが「世界(欧州)を意識してプレイ」しているように感じましたし、そのプレイや姿勢や言動が私には魅力的に感じたんです。今思えば、当時の中田英寿は11人でなく1人で世界と戦っていたのかもしれません。アトランタ五輪での「守備的な布陣に異を唱え、守備陣にも攻撃参加を要求」しかり、「対アルゼンチンのピッチに立った中田の髪の毛は、金髪に染められていた」しかり。もちろんサッカーは1人ではできませんし、11人のことでなく自分1人のことしか考えてない選手はいくらうまくても監督だって使いません。ただ当時のフランスワールドカップあたりの中田英寿はその「1人」と「11人」のギリギリの境界線のところでプレイしていたように思えるんですよね。言い換えれば「個人と組織の微妙なバランス」をとってプレイしていたとでも言いますか。それはまるで、時にはゴールを演出するようなキラーパスを通したかと思えば、時にはFWが追いつけそうもない無謀なキラーパスを出してしまうような彼のプレイが象徴するかのような、絶妙なバランスとでも言いますか。

■なんで今それが急に気になりだしたんだろう

ただ、言えるのは当時の彼は間違いなく「世界(欧州)」と戦っていた。それは普段の生活においても、普段のJリーグの試合や日本代表の練習試合でのプレイでも同様。常に世界を意識して生活し、世界を意識してプレイしていた。その姿勢がかっこよくて、クールである一方、生意気でもあり、醜くもあった。ギラギラしていた。熱かった。希望があった。リアルなノンフィクションのサクセススートリーでもあった。誰もそんなヤツはいなかった。他のスポーツ界にもいなかった。黒沢や宮崎駿やYMOや渋谷系と同じくらい世界に近いように感じた。錯覚した。騙されていたというか、騙されてもよかった。彼がカプリコンワンの飛行士でもよかった。今の日本代表にそんな選手はいるんだろうか? 確かに時代は違う。ワールドカップに3度も出た。アジアカップも2連覇した。サッカーバブルもはじけた。海外移籍なんて別に珍しくもなんともないし、そこが必ずしも楽園でないことも知った。中村俊輔や高原は確かに海外でがんばっている。彼らだって間違いなく「世界」を意識して生活し、「世界」を意識してプレイしている。それは絶対に間違いないんだろうけど、このオシム日本代表での2試合を見る限り10年前の中田英寿のようなメッセージは私には伝わってこない。彼らが発信してないから受け取れないのか、発信しているけど単に私が受け取れないだけなのかわからないけど、少なくとも私の目にはギリギリのところで戦っているようには感じられない。というか、それはジーコ日本代表の時からすでに「感じられない」ものだったのかもしれないし、なぜかジーコ日本代表のときは気にならなかったものなのかもしれない。なんで今それが急に気になりだしたんだろう。中田英寿がもし仮にいま日本代表に復活したら、彼のプレイからそれを感じることができるんだろうか? 私は今の彼を見てないし、知らないが、思えばドイツワールドカップでの彼のプレイは「それ」が空回りしていたようにも感じる。10年前の「1人と11人のギリギリの境界線のところでプレイ」していたころの絶妙のバランス感は色褪せていた。だから引退したと私は今思っている。

サッカー日本代表のオシム監督が21日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見し、来月に迫ったアジア・カップや中村俊輔(セルティック)、さらには引退した中田英寿氏までさまざまなテーマについて語った。
 3連覇が懸かるアジア杯へ、指揮官の心配は調整不足。Jリーグの日程が今月30日まで組まれ、「すべての参加チームは日本に対して高い意識でくる。恐れているのは日本の選手が疲れ、高い意識で臨めるかどうかだ」と不安を吐露した。
 また、中村らスター選手を持ち上げる日本の風潮にクギを刺し、「中村を選んだ上でチームを作るか、チームに中村を合わせるか。今、どちらを優先するか決める時だ」などと語った。
 昨年のワールドカップ(W杯)ドイツ大会を最後に現役を退いた中田氏については、「彼以上の選手を見つけるのは難しい」と評価。「彼はまだ若い。再びプレーするのであれば、代表に入る余地はある」と、ラブコールを送った。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20070621-00000170-jij-spo.html
いまのJリーグ界に、チーム、競技よりも偉大だとされる選手がいるだろうか。かつてのカズやジーコ、リネカーのように、その存在だけでファンの足をスタジアムに向けさせた存在がいるだろうか。そうした選手を獲得する、もしくは育成しようとする努力がなされているだろうか。
 どれほど偉大な選手であってもチームよりは偉大ではないという常識が行き渡っている国、アメリカのメジャーリーグでは、一方で、スター選手に焦点を絞ったチームグッズの開発が次々と進んでいる。利用できるものは利用する、プロならではのしたたかさである。http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2007/06/post_820.html

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