オシム日本代表のアジアカップを総括 1年生になったらトモダチ100人できるかな?

■PART①:監督やベンチの顔色を見過ぎているところ

「今のチームはどうしても監督やベンチの顔色を見過ぎているところがある。監督に教わったことだけしかできていない」大会中ある選手が言っていた。考えるサッカーを標榜したオシム監督。選手たちは、指揮官の言葉を心酔しきってしまったからなのか、監督の考えるサッカーを具現化することばかりに集中してしまったのかもしれない。http://news.livedoor.com/article/detail/3247528/

ある選手って誰だろう? ってのは置いておいて、このように感じる選手がいるってことは興味深いですね。ちょうど1か月前くらいにこのブログで「アジアカップで望むこと」というお題目のもと駄文書いたわけですが、その内容とちょっと被るところがあったので。ってわけで、1カ月前の文章をここに再度アップしてみたいと思うのですが、要はアジアカップの総括っていうことです。

というわけでアジアカップは個人的にそのあたりに注目したいですね。日本人選手がオシム監督の与えるマニュアルを自分のものとしてきちんと消化してプレイできるのか、それとも消化しきれずに「借りてきた猫」みたいになってしまうのかを。逆言えば、オシム監督がどうやって日本代表の選手にマニュアルを教え、選手たちがマニュアルの上部だけでなく本質から消化できるようにするかをね。って、まぁ準備期間のことなんか考えるとアジアカップでそこまで求めるのは酷かもしれませんが、優勝できるようにがんばってほしいですね。http://doroguba.at.webry.info/200706/article_17.html

「借りてきた猫」って表現はあれかもしれませんが、要は上である選手が言っていることと同じです。「監督やベンチの顔色を見過ぎ」たり「教わったことだけしかできていない」マニュアル人間にならないでほしいな。マニュアルを踏まえたうえで自分たちの色というか個を出して欲しいな。アジアカップはそこに注目したいなと書いていたんですが…、すみません。私の方が忙しく肝心のアジアカップ観戦がママならない状態だったので、マニュアル人間だったのか脱マニュアル人間になっていたのかはわかりませんでした。まぁ監督や選手のコメントからそれを察することはできるんですが、やっぱ自分の目で見て感じらないとそれについて書いても意味ないと思うんでね。

■PART②:みんな「1年生になりたい」のかな?

「1年生になりたかったから」。ヴェルディ名波浩がセリエAのヴェネチアへ移籍した当時の理由がこれだったみたいですが、これって「心機一転して初心に戻る」ということなんだろうか? それはそれで、ありだと思うし、状況を変えることで気持ちをリセットするのが効果的な場合というのは当然あると思うんですが、ただ、それって1回か2回が限度である気がするんですよね。もし何度も何度も「1年生になる」行為を繰り返す人がいるとしたら、それは何か問題がある気がするんです。「初心に戻る」のがよくないというわけじゃないですよ。気持ちだけでなく、置かれた状況を絶えずリセットし続けるのはどこかに欠陥があるのではないかということが言いたいわけです。

置かれた状況はそのままで気持ちだけ「初心に戻る」というのと、状況ごと「初心に戻る」というのでは違います。つまり「自分の状況を本当に1年生状態に戻す」というのと「現実は3年生なんだけど、気持ちだけ1年生みたいになる」というのは全然違うということ。前者と後者で何が大きく違うって、ずばり3年生でいることを止めてしまうのか、それとも3年生でいることを受け入れるのかだと思うんです。って当たり前のことですよね…。

また、「3連覇」はNGワードだ。「3連覇へ向かって、チームの状態は…」なんて質問が出ようものなら、「なぜ3連覇しなければならないのだ」と、質問の内容そっちのけで「3連覇」に反応してしまう。日本のメディアにとって「3連覇」はアジアカップの枕詞みたいなもので避けようがないのだが、オシムは徹底的に回避する。監督は、会見の回答も戦闘モードに切り替えたようだ。http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2007/07/post_849.html

閑話休題。さて、なんでオシム監督は「3連覇」という言葉を回避しようとしたのか? 余計なプレッシャーが選手に掛かるから? 慢心になるから? 相手のモチベーションを上げるから? まぁ確かにそういう面もあるかもしれないけど、私は逆に「3連覇」をNGワードにして、回避して、「アジアチャンピオン」という現実から目を逸らそうとしたことが選手や日本代表のサポーターに悪い影響を与えた気がしてならないんですよね。チャンピオンであっても「チャレンジャー的な気持ち」を忘れないで戦うことは重要だろう。ただ、それと同時に「チャンピオン」という誇りを持って戦うことも重要であると思うから。「チャンピオンを目指して戦う」のと「チャンピオンを守るために戦う」のでは、置かれた状況は全然違うのはいうまでもないところですが、私は今の日本代表のサッカーにとって一番大切なのは「チャレンジャ-の精神」よりも「チャンピオンの精神」であると思ってました。そういう気持ちでアジアカップを戦ってもらいたい、その上で優勝を勝ち取ってもらいたい。たとえ結果として優勝できずに負けたとしても「チャンピオンだった誇り」を失わないでもらいたい。負けたことを悔やんでもらいたい。恥じてもらいたい。チャンピオンを守れなかったことを後悔してもらいたい。悲しんでもらいたいと思ってました。それは選手や監督のみならずファンやサポーターも同様。そういう気持ちがチームを強くすると思うし、強いチームとしての歴史を作ると思うから。そういう「チャンピオンであること」を誇りに思い、プライドをもつことが強さにつながると思うから。歴史を作ると思うから。「勝者のメンタリティ」ってやつは、勝つことによってのみ身につくと思うんでね。勝って、勝って、勝ち続けることで。もちろん、そんなことは不可能であるのはわかっているけど、例え負けても誇りやプライドを持つことが大切だと思うんです。果たして、今のサッカー日本代表にそういう気持ちをもっている選手がどれくらいいる? そういう気持ちをもって応援しているサポーターやファンはどれくらいいる? プライドや誇りを持てないのは国民性の問題? そういう気持ちは必要ない? みんな「1年生になりたい」のかな? まぁ1年生になるほうが楽だからね。3年生になったら、1年生に戻る。この繰り返しが理想? 日本サッカーにとって、いや日本人にとって、ずっと3年生でい続けることは目標ではないんですよね。1年生になったら、トモダチ100人できるかな? って考えて生きる方が好きだとしたら、そんな国には何年たっても「勝者のメンタリティ」なんて生まれませんよ。そりゃ、サッカー選手の寿命なんて短いですし、若い選手に期待するその気持ちもわかりますよ。でも我々がいつも「3年になったら1年生に戻ればいい」という考えじゃ、若い選手だって育たないと思うだけどな。まぁ3年生がいないチームの方がやりやすい監督もいるのでしょうし、それで勝てるならありなのかもしれないけど。

■PART③:ポゼッションサッカーと個の突破

「わたしのフットボールを象徴する最大の要素は、ボールポゼッションだ。~中略~。ゴールを支配するチームがゲームを支配する。重要なのは高いボールポゼッションを保ち、数多くのチャンスを作ること。そうすれば負ける確率は低くなる。ボールを支配し、チャンスを作っても負けることはある。しかしそれは確率からいえば低いものだ。」
(ワールドサッカーダイジェスト2004年12月第一週:モウリーニョ監督のインタビューのより)http://doroguba.at.webry.info/200502/article_14.html
「プレスをかけていく試合運びはモウリーニョが生み出したわけではない。アリゴサッキが率いたミランが1980年代末に実践したものだ。 ~略~ モウリーニョはこの古い戦術にさらに新たな手を加えた。運動量の多い中盤に休みを与えるために、DF陣が30秒かそれ以上ボールを回す”ボールの休息(resting the ball)”と呼ぶ戦法を付け加えたことだ。」 
     (NumberPLUS December200~ホセモウリーニョ「システムより大事なもの」より)

「負けないためのボールポゼッション」そして「運動量確保のためのボールの休息」。どちらもモウリーニョサッカーに欠かせないものですが、私はアジアカップでのオシム日本代表の戦い方(特にオーストラリア戦)にも、この2つの戦い方をちょっぴり垣間見てました。まぁたぶん「ボールの休息」に関しては自覚はなく、ポゼッションした結果として無意識にそうなっただけな気もしてますが、暑さという要素も加わってか「ポゼッションサッカー」というスタイルは意識して行われていた気がします。もともとオシム監督の「走るサッカー」は運動量が求められるサッカーであり、試合の後半に運動量が落ちて動けなくなる試合が何度かあったわけですが、運動量を90分保たせる&過密日程のトーナメント戦でどうコンデョションを保つかというのが課題かなと思っていたのですが、その答えがこの「ポゼッションサッカー」であったということなんでしょう。ただ、このオシム日本代表の「ポゼッションサッカー」は完成に至っておらず、逆に「ポゼッションサッカー」を実現した結果、その弊害(?)でサウジアラビアに負けてしまったという考えもあるみたいです。

日本の攻撃で気になったのは、パスをつなぐことに神経がいくあまり、肝心なことを忘れていたことだ。まずはゴールが見えたらもっとシュートを打つべきだし、サイドから1対1で突破を狙わないとチャンスはつくれない。パスを回すだけでは相手が対策を立ててしっかり練習してくると破られる。リスクを覚悟で勝負にいかないとゴールは奪えない。序盤で加地や駒野にボールが回った時にあっさり後ろにパスを戻すシーンが目立ったが、これでは相手も怖くない。http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2007/07/post_859.html
やはり、ゴールを狙うためには時にはドリブル突破したり個人の能力で勝負することも必要だろう。サウジアラビアも前の3人は個人の力でどんどん行っていたし、決勝点もマレクの個人技だ。日本はシステムにこだわりすぎる傾向がある。中村もパスだけでなくもっとドリブルで突っかけたりしたほうがいい。世界で戦うことを意識すればそのあたりがもの足りない。http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2007/07/post_863.html

シュートやドリブル突破という個の要素は確かに必要だと思いますが、なんでこの大会ではそれができなかったのか? それができる技術が無かったから? それができないような守備を相手にやられたから? それとも、やる気が無かったから? 自分で判断して「やらなかった」から? 自分で判断できなくて「やれなかった」? そうしていいとの指示が無かったから? 禁止されていたから? 「オシム監督の考え方は浸透し、あとは個人の部分」というけど、オシム監督の考え方が浸透していたからできなかったってことはないんだろうか? 就任してからここまでの、オシム監督のマニュアルの伝え方が悪かったという考えは無いんでしょうか?

アジアカップ、ベスト4という結果はすばらしいと思いますしオシム日本代表を評価すべきだと思います。ですがそれとは別に優勝できなかった理由、サウジアラビアに負けた理由、シュートやドリブルという個の突破ができなかった理由はちゃんと考えてみるべきだと思うんですよね。って以上、3位決定戦がまだ残ってますが、現時点で思うことということで。エンディング
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