サッカーはジャズなのか? またはオシム日本代表とサッカーにおける「定型やパターン」のお話

オヤジロック最高! ほんとに!

■プロローグ:「おまえは、日本人か? どんなジャズが好きなんだ?」

その昔イギリスはロンドンのクラブで黒人に話しかけられたことがある。
「おまえは、日本人か? どんなジャズが好きなんだ?」。
はて、好きなジャズねぇ。コルトレーンのバラッドは大好きだし、マイルスデイビスとかも聴くけど、あまり詳しくないなぁ。こういう時はやっぱ日本のアーティストを答えたほうがいいのかな…? とか3秒くらい考えて、こう答えた。
「山下洋輔って知ってるかい? いいアーティストだよ」
「誰だそりゃ? 知らないな。そいつは日本じゃU.F.Oとか、DJクラッシュみたいに有名な奴なのか?」
「………」
そうか、コイツが俺に聞いたのは「クラブ系ジャズ」のことだったんだ。って、普通に考えればわかるよな。ここはそういう場所なんだから。なに答えてんだろ俺。(第1話:「おまえは、日本人か? どんなジャズが好きなんだ?」つづく)

■第1章:「サッカーはジャズですから」

というわけで、今回サッカーとはまったく関係ない話でスタートしたわけですが、なんでこんな話を書いたかというと、それはネタが尽きたから…じゃなくてジャズミュージシャン山下洋輔にまつわる話だから。というか「サッカーと即興性」の話ですね。

 「それは・・・その中間かな。攻撃とか防御の一定の形は頭に入れさせますけど、つねに、もっとほかの方法もある、という意識を持たせます。練習では、瞬間瞬間の動きが最善の選択だったかどうかを評価し、それが最善の選択でなかったら、別の動きがあったことを教えます。けど、それを形として憶えさせたり、残したりはしません。そのときの最善は、そのときだけのことであって、少しでも局面が変われば、最善の選択もかわってきますからね」
――サッカーでゴールを奪うというのは、雲をつかむような話なんですね。
 わたしが冗談半分にそういうと、岡田監督は苦笑いしたあと、
 「サッカーはジャズですから」
 といった。
 「ジャズ・ミュージシャンはそれをやってるじゃない・・・」
 一定の形(音楽の進行)はあるけれど、瞬間瞬間に即興で最善の音を選択して演奏している・・・という意味だと、わたしは納得した。http://www.tamakimasayuki.com/musica_bn_45.htm

「サッカーはジャズ」とは岡田監督らしいなぁと思うのですが、ここで玉木氏が言う「瞬間瞬間に即興で最善の音を選択して演奏している」という表現はなるほどなぁと思ったりして。実は昨日Youtubeでエルトンジョン探していたら、こんなの発見したんですが、ジャズとは違いますがこれも一種の即興というやつですね。TVの遊び企画ではありますが、「瞬間瞬間に即興で最善の音を選択して演奏している」のは同じかなぁと。「ウーン。短調になってしまった。あんまりいいオーブンじゃない」とエルトンジョンは言っていますが、これって要は「瞬間瞬間で最善の曲調(音)を選択」しているということなんでしょう。あくまで感覚的なものかもしれませんがね。

■第2章:「サッカーがジャズだとしたら」

さて以上を踏まえ、ここからちょっと強引ですがサッカーにおける即興の話でも。岡田監督が上で言うところの「少しでも局面が変われば、最善の選択もかわってきます」という考え方はサッカーを語る上で欠かせない要素だと思っているのですが、それはマラドーナのような天才プレイヤーであっても、そこらで草サッカーしている凡人プレイヤーであっても変わらないと思ってます。

20人のフィールドプレーヤーが広大なピッチで常に動き、そしてそれだけでなくそれぞれの選手が独自の判断を繰り返しながらプレーをつなげていくサッカー。世界中で1年間に100万試合が行われていたとしても、完全に同じ状況などひとつもありません。凡庸なプレーヤーたちは、そのなかに定型を見出し、いくつかのパターン化された解決法のなかから自分の行動を選び、実行します。
しかし天才たちは、時間と空間に関する抜群の把握能力を操り、定型やパターンを無視した独自の判断を下すのです。相手選手を驚かせ、見ている者たちに感嘆の声を上げさせるのは、まさにそうした瞬間なのです。
http://sports.biglobe.ne.jp/soccerclick/column/column014.html

こちらのコラムでは凡人プレイヤーと天才プレイヤーのプレイについて「定型・パターン化された行動」と「定型やパターンを無視した独自の判断」と分類されてますが、この考えはちょっと違う気がするんですよね。もちろん、「えっ、こんなところパスと押すの?」とか「こんなところからシュート決めるの?」といった信じられないようなプレイをするから天才プレイヤーと呼ばれるんでしょうが、そういうプレイは「定型か非定型か」「パターンか非パターンか」というものではなく、「瞬間瞬間に即興で最善の音(プレイ)を選択」できる能力があるかの違いであるという方が適当な気がするんですよね。どんなすばらしくて信じられないプレイだって、基本的には「定型やパターン化された」プレイの延長線上にあるといいたいんです。「定型やパターンを無視した」ものではなく、あくまで「定型やパターン」の範疇になるものであると。ジャズの演奏やエルトンジョンの即興にも「一定の形(音楽の進行)」はあるように、天才プレイヤーのひらめきやプレイにも「一定の形(サッカーの基礎)」はあるのではにないかということです。上のコラムだとなんか「天才プレイヤーのみがジャズ(即興)していて、凡人プレイヤーはドレミファソラシドと順番になぞってパターン化して音出しているだけ」て風によめちゃうんですが、そうではなくて「サッカーというスポースそのものがジャズ」であり、天才プレイヤーであれ、凡人プレイヤーであれ、ジャズを弾いている。その技術やレベルには違いはあれど、ジャズを弾いていることには違いないのではといえば、なんとなく言わんとすることは分かってもらえるでしょうか? まぁどうでもいいですが。

■第3章:「サッカーはジャズではない」

で、さらに「サッカーはジャズ理論」で展開させてもらうと、以下のコラムの読み方も少し変わってくるのかもしれません。

個人の能力(才能と呼ばれるモノ)は、もちろん「出現するのを待つ」しかないけれど、そこでは、いまチームが持ち合わせている「個の才能」を、実効あるカタチで発展させ、それを効果的に発揮させるという発想も大事です。もちろん、組織プレーを絶対的なベースとしてね。特に日本チームの場合は、メンタリティー的に、どうしても組織が「より」強調されるから、どうしても個人プレーは「塩と胡椒」という発想になってしまう。まあ、だからこそ、その発想を常に反芻しつづけることが大事になると思うのですよ。
 とはいっても、もちろん、レベルを超えた個の才能が出現してくればハナシは別なんだろうけれどね・・。
 その個の才能が「組織」を凌駕するレベルにあるかどうかを評価・判断し、そして、その「個」を組織プレーに組み込んでいくプロセスは、オシム監督のウデに拠ります。たしかに今回は、中村俊輔や高原直泰の「個の能力」がうまく発揮できていた訳ではなかったという見方が出来ないわけじゃないけれど、逆に、彼らによる個の勝負によって、オーストラリアやサウジアラビア、韓国の守備ブロックを切り崩せていけたかどうか・・という疑問も残る。オーストラリアのビドゥーカやキューウェル、サウジの9番や20番、はたまた18番などといった個の才能と比較して・・ネ。
http://www.yuasakenji-soccer.com/yuasa/html/topics_4.folder/07_ac.7.31.html

選手のレベルによって「プレイの選択」が変化するのはその通りであると思います。ただ、私がオシム日本代表を見て問題と思ったのは「レベルを超えた個の才能」の有無ではなく、「瞬間瞬間に即興で最善の音(プレイ)を選択」できてなかったことになったと思うんですよね。ここで言うところの最善のプレイとは、攻撃時は「ゴ-ルすること」、逆に守備時は「ゴールをまもること」。そういうプレイを一部の選手ができてなかったのが問題であったと。で、なんでそうなっていたのかを邪推してみると、そこにはやっぱメンタルな影響があっと思うんです。それは湯浅氏が危惧するような「自分たちはレベルを超えた個の才能を持ってない」とオシム日本代表の選手が自ら勝手に萎縮したからではないと思ってます。オシム日本代表の選手たちが「おれらはビドゥーカやキューウェルじゃねぇし、サウジの9番や20番、はたまた18番などといった選手みたいに個人技ないから無理」と勝手に思って、そういう個を生かしたプレイを選択しなかったとは到底思えないからです。まぁ、中には「俺は個人技ないから」って思っている選手もいるのかもしれませんが、ピッチ上の選手が「俺は個の才能を持ってない」と考えているとは思えない。そもそも「瞬間瞬間に即興で最善の音(プレイ)を選択」したけど結果が出なかったのか、それとも選択できなかったから負けたのかというところから考える必要があるのかも知れませんが、私は後者が理由でしかもそれは「選手自らがレベルを超えた個の才能を持ってない」と悟ったからだとは思えないんですよね。まぁその答えを突き詰めると「サッカーはジャズではない」ってことで落ち着きそうですが(笑)。

■おまけ:シーナはパンクロッカー!

これはたぶん作り話なんだろうけど、これまたロンドンを舞台にした話。
その昔、それはパンク(音楽のジャンルね)が大好きな日本人がおったそうな。
彼の名はシーナ(もちろん芸名であり自称)。
モヒカンにピアスに奇抜なファッション。全身いわゆるパンクファションという格好で暮らしていたシーナは、いつかパンクミュージック発祥の地であるロンドンに行ってみたいと思っていたそうな。そして数年後、その思いが通じてか、ついにロンドンへ行けることになったシーナ。パンクファッションに身を包み、憧れのロンドンへと旅立つことになります。ロンドンへ着いて、さっそくイギリスのパンク発祥の地であるキングスロードへ向かうシーナ。パンク発祥の地というからには「本物のパンクロッカー」がいるんだろうなぁと心躍らせてその地へ向かったが、いざついてみるとそこは何の変哲もない普通の通り。パンクロッカーなんていやしない。ちょっと肩透かしを食らったシーナが、その通りをトボトボ歩いていると、突然カメラを持った日本人が彼のことを指差さしてこう叫んだ!
「あっ! パンクロッカーだ!」(第2話「シーナはパンクロッカー!」完)
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