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zoom RSS トルシエ、ジーコ、オシム、岡ちゃんを比較? 日本代表監督論  理系と文系の思考から

<<   作成日時 : 2009/02/04 05:04   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

クアレスマについて書きたいことはたくさんあるんだけど、今日はそれはやめておいて先日ちょっと書いた監督の「理系・文系」思考について、歴代の日本人監督を例に改めてまとめてみたいと思う。
ところで、飛行機の機内誌に養老孟司氏が『理系と文系の思考の違いとは?』と題して寄稿している。理系は「モノ」「現場」を中心にものを言うが、文系は理屈がものを言う。
直交座標系において、理系をX軸にとり、文系をY軸にとって両方の考え方を取り入れることが我々が抱えている問題を解決するためには大事になってくる、と述べている。『お互い関係ないと思っていれば何も起きないが、無理やりにでも協力しあえば合力が生まれる。』http://blog.livedoor.jp/mineot/archives/51482713.html

まず最初に確認しておきたいのは、ここで言う理系と文系の定義について。私は基本的に養老孟司先生のお話を元にさせてその定義をしているんだけど、それに従うせていただくと、理系とは「現場主義」であり、文系とは「理屈」ということになる。これをサッカーに置き換えるとどうなるんだろう? たとえば理系的な思考とは「実際にピッチで起っていることから考えること」であり、文系思考とは「ピッチというよりも机上で考えること」?

■フィリップ・トルシエ元監督の場合

たとえばトルシエ日本代表。日韓W杯のロシア戦あたりを思い出して欲しいんだけど、あの試合あたりから「トルシエのフラット3戦術」対「宮本の現実的守備」って図式があったと思うんだ。トルシエは最終ラインを高くしてコンパクトにして、DFの裏のスペースはオフサイドトラップを仕掛けて守れって戦術だったんだけど、それに対して宮本はいつもオフサイドトラップを仕掛けるのは危険すぎるし、状況によってはラインを下げて対処すべきって考えがあり、それを実行しちゃったわけだ。で、このトルシエ対宮本の図式を、先の理系文系思考で考えてみるとどうだろう。トルシエのフラット3は「文系」で、宮本の状況に応じて下がるは「理系」ってことになると思うだ。ほら、そこ! 数字が出てくるから理系じゃないんだよ。ここでは、あくまで理屈ありきが文系で、現場主義が理系という定義なんだ。もちろんトルシエのフラット3だって現場から考えた理系的な側面は持っているんでしょう。つまり前線から最終ラインまでをコンパクトにすることで「プレッシング」をかけやすくするというのは理系的な思考だと思うんだ。でも、最終ラインの裏のスペースへの対処法については「ちょっと現場の状況」からかけ離れていたところがあったと思うんだ。まぁ、それは「最終ラインの裏のケア」よりも「中盤のコンパクトさ」を優先したからなんだろうけど、その考えは実際に最終ラインの守備を司っていたフラット3の戦士たちにとっては「現場の考えよりも理屈が優先していた」ように感じたことだと思う。なんでかって現実的に無理してオフサイドトラップを掛けて、しくじって失点していたわけだからね。トルシエはもっと最終ラインを上げれば対処できるって「理屈」をこねるんだけど、現場の宮本たちは「むやみに上げても無理。それよりは下がろうよ」って思っていたと思うんだ。

■ジーコ元監督の場合

続いてジーコ日本代表。ジーコの時も守備のやり方でまさに最後まで揉めていましたが、その発端となったのは例の福西VS中田英から始まった「高い位置からプレス」なのか「ちょっと引いてゾーン構築」なのかって話。練習中のピッチで福西と中田英が守備のやり方で喧嘩したのがニュースになったわけだけど、あの論争はいわば「現場主義的=理系的」な論争だったと言えると思うんです。つまり中田英にも福西にもどちらにも言い分はあって、それぞれの現場の立場からの考えがぶつかり合ったものだったみたいな。中田英からすれば、ハーフカウンターが日本代表の生命線であり、そのためにも最終ラインを高い位置で保って中盤をコンパクトにしてプレスを掛けてゴールを狙いたかった。一方、福西は闇雲に最終ラインを高くするのは危険という考え。カウンターできるときはそうすべきだけど、基本は「守備は守備」という考えで、あくまで最終ラインに合わせてコンパクトを形成してバイタルエリアをケアすべきであり、中盤の選手がむやみやたらに高い位置からプレスを掛けにいくのは反対というということだった。つまり中田英にも福西にも「理屈=文系」と「現場主義=理系」の2つの思考があったんだろうけど、その2つの思考にずれがあったってことなんでしょう。で、口論になったと。この対決だけど、別に口論すること自体は悪いことではなかったと思うんです。当時のスポーツニュースではイザコザみたいに報じられていて私もそう思っていたけど、「理系的思考」という側面から考えてみればじつは全く問題ではなかった。むしろ、現場主義の理系的なやり方で対処できれば、すばらしいことだったんだ。

「(選手の答えた方法で)やらせるんですよ。必ず何らかの結果が出てくる。1回成功しても3回ボールを取られた。失敗。『お前ら、今こうやったよな。どう?』。自分の引き出しはまだ出さない。『組み立てのリスクは低いか、高いか?』。リスクは高い。『じゃあ、もっといい方法はあるか?』と聞く。こうして良くなる=向上=練習の目的達成。そこがコーチングです。トップのコーチは誘導、聞くだけ。でもそれは戦術的にマニアックで自分の引き出しを十分持ってないとできない。それができたらトップコーチ。ファン・ハール(現AZ監督)がそうです。
 で、組み立てが良くなってきた。片方が良くなってきているということは、相手にとってやられちゃっているということ。今度は相手チームにディフェンスの仕方をコーチングする。でもやはり質問形、そして誘導。『レギュラーチームの組み立てが良くなってきているけれど、何が起きている?』と聞く。すると連係してディフェンスをしてない、ラインが間延びしている、マークが付いていっていない……など答えはすぐに出てくる。『じゃあ、やってみろ』と指示する。そこでまた組み立てをやらせると、難しくなる。ひとつの目的を持った練習の中で、その目的を向上させるために練習の難しさをこうやって調整する。それは相当サッカーが見えてないとかなり難しい」http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0506/holland/column/200606/at00009290.html

おなじみ中田徹さんのスポナビコラムからの引用ですが(ってこれ何度目)、要は中田英と福西がもめたときに、ジーコがここでやっているような「正しい道への誘導」を行なえればよかったと。これ前にも書きましたが、今回、理系文系云々を持ち出したのは、これをもう一回言いたかったからなんですよ。つまり、この論争が起ったときにジーコに必要とされたのは「理屈=文系的な思考」だったと思うんです。だって中田英も福西もどちらも「理系的な思考」では間違ってなく正解だったわけですから、その2つの現場の意見をまとめる「理屈=文系思考」が必要だったと思うんです。中田英論で行くか、福西論で行くか、それとも2人のいいところ取りで行くか。他にも方法があったのかもしれないけど、ジーコが「誘導」すればよかったと思うんです。まぁ結果的にそれをしなかったんだけど、それはあえて「しなかった」のか、それとも「できなかった」のかのどちらで考えるかで、ジーコに対する評価は真っ二つに割れると思うんですが、実際のところどうだったのかは私にはわかりません。たぶん両方?

■オシム監督の場合

そしてオシム監督時代。たとえばここではマンマークとゾーンディフェンスのやり方でこんなことがありました。

――前半は4バック、後半は3バックになっていたが、守備の練習だったのか? それとも勝つためだったのか?
 予定を立てていても、相手があることだ。向こうは後半の頭から2トップで来た。それに対応したものだ。その点について、細かくは選手たちとこれから話したい。私の印象では、選手がよく考えた結果、そうしたのだと思う。つまり2トップに対して、最後列で1人余らせる守備を選択した。そういう選手の意思は尊重すべきではないか。ただしその際、中盤で選手が1人減るわけだ。その減った分、選手が余計に走るなり、工夫したりすべきなのだが、それができていなかった。遠藤が守備的な位置まで引かないといけない。もちろん悪くないプレーだった。しかし、阿部のポジションで遠藤がしっかりした守備ができるとは私は思わなかった。阿部や啓太(鈴木)が、遠藤のような攻撃能力を備えて、守備をできればよかった。あるいは、阿部や啓太といった守備のできる選手が、遠藤のような攻撃力があればよい。しかし天は二物を与えずというか、特に日本では、まだ選手の役割分担がはっきりしている。モダンなサッカーに追いつくには、攻撃も守備もできる選手を増やしていかないといけない。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200708/at00014382.html

相手が2トップになったんで、3バックにしたわけですが、これはつまり「現場主義=理系的」はやり方ですよね。でオシム監督はそれに対して「選手の意思は尊重すべき」と言っています。ですが、それに加えて「ただしその際、中盤で選手が1人減るわけだ。その減った分、選手が余計に走るなり、工夫したりすべきなのだが、それができていなかった」と問題点も指摘してます。つまり、ここでオシム監督は「理屈」と「現場」の両方の見地から考えてコメントしているといえると思うわけです。で、その「理屈」と「現場」の2つの思考を実現するためには日本選手に足りないものがあると、その解決するための方向性についてもここで言及してました。「選手の役割分担がはっきりしている。モダンなサッカーに追いつくには、攻撃も守備もできる選手を増やしていかないといけない」と。まぁ最後の「モダンサッカーに追いつくためには」って下りは、はたして現実的な思考だったのかどうかはわかりませんが。

■岡ちゃんの場合

で最後に岡ちゃん。

コンセプトは変わりません。人もボールも動くサッカー。日本人がこれから世界と戦う上である意味、ラグビーでもよく言いましたが、接近、展開、継続というようなコンセプトは変わらないと思っています。ボールと人が動いてできるだけコンタクトを避けた状態で、しかしボールに向かっていく。ディフェンスも待っているんじゃなくて、こちらからプレッシャーをかけていく。これは変わりません。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200712/at00015580.html
『それは見方の問題ですよ。たとえば「日本人は言われたことしかできない」と、言われるけど、よいじゃないか、言われたことをきちんとできるんだからと。あるいは「アジア人は緩急がない」と言われる。ところがパクチソンがマンチェスターユナイテッドで活躍すると、向こうのメディアは「これだけ走り回る選手は初めて見た」と絶賛する。つまり、欠点と言われていることも、見方を変えれば良いんじゃないかと。そういうことですよ。』(中略)『世界と同じ道をたどっていたら、近づくことはあっても絶対に追い越せない』(要約)『外国人コンプレックスが強過ぎるのかもしれない、日本の社会は。ヨーロッパのサッカーはこうだとか、世界のサッカーはこうだとか。それはそれで素晴らしいこと。でも、裏返せばコンプレックスですよ。僕はナショナリストではないけど、アイデンティティーは持っていいと思っている。それはサッカーにおいても同じでしょう。』
http://doroguba.at.webry.info/200802/article_3.html
以上です。

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