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zoom RSS プレミアリーグ「ウエストハム対チェルシー」超雑感  「チョップ、チョップ、アザーサイド」

<<   作成日時 : 2009/04/27 23:04   >>

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久々にストーンズのベストを聴いたんだけど、
ライナーノーツに世良正則のコメントが書かれていた。

「たかがロックンロール。でもおれはそれが好きだ」って
曲のすばらしさを一生懸命に吹聴していた。

そうか、フットボールだってそれと同じか。

「たかがフットボール。でもオレはそれが好きだ」

Rolling stones- It's only Rock & Roll...


■小学生の草サッカー

家の近所(といっても、そんなに近くではなかったんだけど)で、たまたま小学生が草サッカーの試合をやっていた(草といっても、一応、先生らしき指導者みたいな人はいた。小学校のチームか?)。暇だったので(といっても、実際はそんなに暇ではなかったんだけど)観戦したんだけど、そこで展開されていたのはサッカーというよりもラグビーに近いスポーツ。ボールを中心に人が所狭しと混み合っていて、まるでラグビーのスクラムやラック状態。ピッチ上の選手たちは、ボールを前に蹴るから、ドリブルで前に進むかの2択という感じで、パスをつなぐ意識とか、いわゆるゲームメイクするという思考は皆無のようであった。それは攻撃しているチームはもちろん、守備しているチームも同様。って、まぁ見ている限り、どちらのチームが攻撃していて、どちらのチームが守備していてというのを見分けるさえ困難なくらいに「ボールの落ち着かないゲーム展開」だったんだけどさ。

■グチャグチャな理由

という感じの「よくある小学生のサッカーの試合」を観戦したわけですが、どうして小学生のサッカーは得てしてこのようなグチャグチャな感じのボールの落ち着かない展開になってしまうんだろうか? 考えられる理由は以下の通り

1、ふつうの小学生はボールテクニックがなく「数秒のボールポゼッション」ができないから。
2、そこらの小学生はオフ・ザ・ボールのポジショニングや動きがわからないから。
3、まだプレイ経験が少ない小学生は、2手先、3手先の先を読むプレーができないから。
4、きちんとしたピッチを俯瞰で感じたり想像することができないから。

■ウエストハム戦のミケル

というわけで、いきなりチェルシー戦とは全く関係ない「近所の小学生サッカー観戦記」からスタートしてしまったわけですが、なんでこんな関係ない話をしたのかというと、それは「ウエストハム対チェルシー」の試合中にスカパー解説の相馬氏がミケルの守備時ポジショニングを褒めていたから。攻撃時のオフ・ザ・ボールの動きを指摘する解説者の方はよくいると思うですが、守備時のポジショニングについて語る人って実はあんまりいない気がしていたんで、相馬氏の「視点」がすばらしいなと感じてしまいました。

よくサッカーは「ボールを持ってない時間のほうが多い」と言われていますが、それはやっぱ事実であり、そのボールがない時のピッチ上でのすごし方が勝敗を左右したり、ゴールを生んだりゴールを阻んだりするんですよね(もっと言えば、サッカーが周りの人に美しく見えたり、きたなく見えたり、ごちゃごちゃに見えたり、スッキリ見えたりする要素でもあるわけで)。

さて、そのミケルのポジショニングについてですが、テレビ画面から見ているだけですとわかりにくいかもしれません。ってテレビ画面でなく生観戦でも「わからない人にはわからない」気もしますが、テレビ観戦にせよ生観戦にせよ「選手のポジショニングを意識して」観戦していれば、なんとなく「いい悪い」がわかると私は思っています。

■ポジションニングを意識すること

じゃ、どう「選手のポジショニングを意識」して観戦すればいいのでしょうかって話になるわけですが、それは単純に言えば「ボールを持っている選手以外の選手のポジショニングと動き」をボールホルダーの動きとともに同時に見るという「観戦術」を養うこと。つまりボールを持っている人だけでなく、その周りの選手がその選手に対してどのようにサポートしたり、相手選手がどのように邪魔しているのかを「同時に見て楽しむ」ことができれば、選手のポジショニングの良し悪しが少しはわかるようになると思うんです。これは、字幕入りの洋画を見る感じに似ているのかもしれません。スクリーンで俳優の演技を見ながら、同時に文字も読むみたいな芸当を、サッカー観戦でも行う感じ。ボールを持っている人を注目しつつ、同時にその周りの選手の動きも見る。この「同時凝視」が少なくともテレビ画面で見える範囲でできるようになれば、あとはボールを持っていない選手の動きやポジショニングが「良い」か「悪いか」の判断がつくようになればOK。この判断する力を養うのは難しい気もしますが、私のような素人でも見分けがつく簡単な方法は、単純にボールを持っている選手が「楽できている」か「苦しんでいるか」を察すること。パスがポンポンとつながれば「周りの見方の選手のオフザボールの動き」が良いか、もしくは「相手DF選手のポジショニングが悪い」。逆にパスが失敗したときは「周りの選手の動きが悪い」もしくは「相手DF選手のポジショニングがいい」ってこと。って、当たり前のこと言ってますが、この当たり前の積み重ねがサッカーというスポーツなんですよね。

■ミケルのよさ

というわけでミケルのポジショニングについてですが、簡単に言うと「相手選手の次の最善のプレイを予測して、そのプレイをさせないようにする」ことがうまいということなんでしょう。特にFWへのクサビパスを阻止したり、「縦パスのコースを消す」のがめちゃめちゃうまい。また状況によっては「自らプレスして、サイドに追い込んだり」「CBの位置に入って、テリーの代わりにカバー」したりと「その時にやらなければいけないこと」をとっさに判断したり、「危険な場所をとっさに察知」する能力もすばらしいのも付け加えておきましょう。つまり「相手選手にとっては、嫌なこと」を「見方の選手にとってはありがたいこと」を守備時にプレイできているというわけなんです。

■ランパードのオフ・ザ・ボールの動き

攻撃ではランパードが「それ」ができているんですよね。つまり「相手選手にとって、嫌なこと」で尚且つ「味方の選手にとってありがとうこと」を同時に兼ね備えたポジショングを瞬時に察して行動に移せてしまうみたいな。チェンルシーの先制点は、まさにそんなランパードの「オフ・ザ・ボール」の動きが生んだものでした。相手ペナルティエリアの相手が嫌がる&味方がありがたがるスペースをい見つけて、そこに向けて走りこみセンタリング。決めたカルーも見事でしたが、その前のランパードのプレイがすべてでした。

■話は戻って

話を冒頭の小学生サッカーに戻します。

小学生の草サッカーは、なぜボールを中心に半径5mくらいのところの世界で終わっているのか? それはボールを扱う技術がないことはもとより、ゴールがないところでの動きがわからないから。では、なんで小学生は「ボールがないところでの動き」がわからないのでしょうか? それはいろいろな理由があるんでしょうけど、一番はうまく教えられてないからだと思う。まぁ人によっては小学生で大切なのはオフザボールの動きでなく「1対1」であり「勝負すること」って考えの人もいることでしょうが、私はそんなことはないと思うんです。小学生だってオフ・ザ・ボールの動きは必要だと思うし、教えれば理解できると思う。

自分がボールを持っている。相手が前から迫ってくる。こういう状況になった時、強引に挑戦するタイプの選手が、いまの日本では極端に少なくなってしまった。抜けに行けば奪われる危険性がある。そうなった際の責任を重大視し、安全策を選んでしまうのだ。サッカーがマイナーだった時代は、勇んで躍りかかっていくようなタイプは決して珍しくなかったのだが……。
 現場の指導者の多くは「アタックしろ」と口を酸っぱくして説いている。しかし、前例に従うのが良しとされ、異質なものが排除されがちな日常で育った選手たちにとっては、これが至難の業となる。
 ポピュラーになったことで、日本のサッカーには独自のスタイル、空気が生まれつつある。一方で、だからこそ対峙(じ)しなければならない問題も見えてきた。サッカーにゴールはない。あらためて痛感させられるきょうこの頃である。(スポーツライター)
http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2009/04/post_1332.html

私が近所で見た少年サッカーの指導者たちは、ハーフタイムに生徒たちに「1対1」のことを力説してました。玉際を強く行けとか、体の入れ方を教えてました。確かに上で引用した金子氏のコラムのように、「挑戦させる」「アタックさせる」ことを指導するのも必要なんでしょう。ただ、やっぱ私はサッカーは「1対1の勝負」するだけのスポーツではないと思うし、勝負する以外のことも同時に教えていくべきだと思うんです。「抜けに行けば奪われる危険性がある。そうなった際の責任を重大視し、安全策を選んでしまう」って、そういう危険を察知する能力も必要だと思うし、安全策がすべて悪いってわけじゃないでしょ? そもそも、なんで日本中がみんな「ランパ−ド(というかメッシ?)」を目指さないといけないんでしょうか? 「ミケル」を目指したっていいじゃん! もちろんミケルが11人いても仕方がないかもしれないけど、11人中5人くらいまで「ミケル」になれるんだったそれはそれでありなんじゃん?(笑) ねぇ相馬さん。

■「チョップ、チョップ、アザーサイド」

だがオシムもクラマーも、日本人が相対的に小柄であることは認識していても、決して小さな選手やショートパスに固執したわけではない。俊敏性を生かし、スピーディーな展開は志向していても、その中で状況に応じて長身選手を利用し、ダイナミックな展開は要求してきた。むしろオシムは各駅停車のパスを嫌ったし、クラマーは「チョップ、チョップ、アザーサイド」と3本目のパスではサイドチェンジを意識させた。http://news.livedoor.com/article/detail/4060112/

「チョップ、チョップ、アザーサイド」ですか…。私も近所の小学生のサッカーを見てて、何度もそう助言したくなりました。「ボールホルダーの後ろに1人。そして逆サイドに1人ポジションをとってごらん。で、ボールを奪ったら、1対1の勝負でなくて、後ろにいる味方にバックパス。でバックパスを受けた人は反対のサイドに蹴るんだ」ってね。そうすれば、たぶん、みんなの好きな「美しいバルセロナみたいなサッカー」に少しは近づけると思うよ。ほんの少しだけどね。  

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