ジーコとエリクソンは似ている!? イングランド代表ウォルコット選出から考える代表チーム論

■イングランド代表のW杯最終候補メンバー28人にサプライズ! ウォルコットの選出はいかに!?

イングランド代表のW杯最終候補メンバー28人が8日、同国協会(FA)から発表され、17歳のFWテオ・ウォルコットが初招集されるビッグサプライズがあった。ウォルコットは所属のアーセナルでトップデビューすらしていないが、同クラブが約24億円でサウサンプトンから獲得した逸材。エリクソン監督は「大きなギャンブル。でもとてつもない才能」と話した。
 また19歳MFアーロン・レノンも初招集された。今季トットナムで、27試合に出場し2得点と活躍する次代の「ワンダーボーイ」だ。スピードあふれるドリブルは右足を骨折しながら代表入りしたFWルーニーに代わる存在と期待は大きい。英各紙は2人の代表選出を予想も、ウォルコットはバックアップ入りが濃厚とみられていた。それだけに、代表の常連デフォーをバックアップメンバーに追いやっての正メンバー入りは論議を呼びそうだ。http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=worldsoccer&a=20060509-00000066-nks-spo

ジーコとエリクソンが似てると書いた私でしたが、どうやら思い違いをしていた? イングランド代表候補が発表されたのですが、まさかウォルコットを呼ぶとは思ってませんでした。エリクソンが彼を選んだ理由&経緯はよくわかりませんが、なんとなく当初から「サプライズ枠」を設けることを決めていた気がする次第です。サプライズ枠というよりも、「若手枠」というか「2006年以降のための枠」とでも言いますか。で、たぶんその構想は当初からというよりも、自分がドイツW杯をもって退任することが決まったあたりで思いついたのではないでしょうかね? そのあたりの真意はわかりませんが、このエリクソンのウォルコット招集から、私は8年前の日本代表のW杯メンバー選定を思い出してしまいました。当時の岡田監督がカズと北沢を最終メンバーから外し、変わりに当時ルーキーだった小野を選んで、メンバー外となった当時高校生の市川大祐も試合に同行させたわけですが、今回のエリクソンのウォルコット選出はそれに近い感覚なのは間違いないと思うんですよね。と言いますか「当時高校生の市川大祐を同行でなく選出した」って感じ? ってことで、今回はエリクソンのウォルコット招集にみる、若手抜擢の是非について考えてみたいと思います。

■代表チームがファミリー的、家的なのは、ジーコ日本代表だけではない!?

周知の通り、現在の日本代表は「ジーコ・ジャパン」と称される。しかし最近になって私は、むしろ「ジーコ・ファミリー」ととらえるべきではないかと考えるようになった。 クラブであれ、代表であれ、時にチームは「ファミリー」と呼ばれることが往々にしてある。だが今の代表は、良くも悪くも極めて「ファミリー」的である。ただし、不思議なことに、それはブラジル的な「ファミリー」では決してない。意外にも今の代表は、日本の伝統的な家制度における「ファミリー」に近い、というのが私の分析である。そして、その「ファミリー」を支えているのが、ジーコの絶対的な父性、なのである。
 家長であるジーコは、ことのほか「長幼の序」というものを重視する、極めて古いタイプの父親だ。そんな厳父が、まず頼りにするのが「海外組」の長男である。そして、長男が「遊学中」の留守を守る次男(宮本、そして三都主、鈴木あたりか)がいて、さらにその下には自己主張の強い三男、四男(小笠原、玉田、松田あたりか)がいる。ついでに言えば、今回A代表デビューを果たした阿部と大黒は、生まれたばかりの末っ子、といったところだろう。
 いずれにせよ、ジーコ一家における「長幼の序」とは絶対なのである。たまさか三男坊が、長男の留守中に存在感をアピールしたところで、それを家長がすんなり認めるわけがない。三男は、あくまで三男。たとえ世界がひっくり返っても、長男と三男の立場が逆転することがない。それがジーコ・ファミリーの基本スタンスなのである。
 ついでに言えば「海外組から誰を呼ぶかについては、もう少し考えるが、基本的にいえることは、今のこのグループを次の試合にもう少し残したいと考えている」という会見でのジーコの言葉についても、私自身はあまり多くを期待してはいない。これまで会見での「リップサービス」を何度も反故にして、それでも勝負にこだわり続けてきたのがジーコである。この言葉についても、その範疇でしかないというのが、私の考えである。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200502/at00003687.html

以前スポナビで宇都宮氏が書かれたコラムからですが、ジーコ日本代表を「ファミリー」「家」というイメ-ジから書かれています。ここで宇都宮氏が言いたかったのは「長幼の序」についての弊害なんでしょうが(笑)、私はこれを読んでこの「ファミリー」「家」という考えはジーコ日本代表だけでなく、すべての代表チームに当てはまることなんだろうなぁって思ったわけです。

スカパーのサッカー番組「FOOT」でアルゼンチン代表のリケルメを取材した時があったんですが、そこでこんなエピソードが紹介されてました。スカパー取材班が手違いでアイマールの取材が出来なくなり、そのことをリケルメに話したところ「俺がアイマールに電話して会わせてやるよ」って言うわけですよ。「おー、ブラザー元気か? ちょっと頼みがある」って感じでリケルメがアイマールと電話で会話するシーンがTVで写されるわけですが、そこでの会話はほんと兄弟そのもの(?)という感じ。まぁ単に2人が仲良しだっただけかもしれませんが(笑)、リケルメはその時確か「アルゼンチン人は兄弟、ファミリーみたいなものだ」と言っていたわけです。別に驚くようなエピソーゾではないかもしれませんが、これを例えば「中田英と中村」とか「中村と松井」に置き換えて想像することって難しくありませんか? そんなことない?

話がずれましたが、要はアルゼンチン代表も「ファミリー的」であるってことが言いたいわけです。で、たぶんそれはブラジル代表でも、イングランド代表でも、オーストラリア代表でも、クロアチア代表でもいっしょではないかと。私はあまり「国家論」とか「家族論」とか詳しくないんですが、まぁ家族というのは「同じ血」を分け合う塊であり、国家はその延長線とまでは言いすぎかもしれませんが、ある意味「同じ血」を持つものの大きな集まり「ファミリー的」なことろもあると思うわけです。まぁ、もちろんそうではない面もあると思いますし、古い考えかもしれませんが。

■「核家族」に「大家族」…、家族といってもその形はさまざまなわけですが…。

話がサッカーからどんどん離れていってますのでまとめます(笑)。要は「サッカー代表チーム」というのはある種「家族」「ファミリー」的であり、で家族が「大家族」「核家族」とかに分類できるようにサッカー代表チームも「いろいろな形」で存在するものではないのかと言うことです。もっと言えば、エリクソンのイングランド代表や昔の岡田ジャパンは「大家族」に近い感覚で構成され、今のジーコ日本代表は「格家族」に近い感覚で構成されているのではないかと。どちらも家族であるわけですが、その形態が違うと。で、例えばある家によっては「養子」をもらったり、ある家では兄弟の序列を無くして競わせたり(北斗の拳みたい?)するってまで言うと、議論が飛躍しすぎでしょうか?

まぁ「大家族」も「核家族」も「北斗の拳一家」などの家族の形態もどれも間違いではないとは思うんですが、その代表チームの家族観(?)みたいなものがその国の家族観と合致するのかどうかってのは、もしかしたらポイントなのかもしれないですね。まぁ「国の家族観」に合致するかどうかよりも、W杯という戦争に臨むべき「家族形態」が優先されるべきなのかもしれませんが。

■日本代表の家族観の変化!? そのキッカケは岡ちゃん&中田英!?

話をちょいと変えて、我が日本代表の家族観について。釜本(はよく知りませんが)、カズ、ラモスなどなど日本代表の歴史というか家族観を築いてきた人たちというのはたくさんいると思うんですが、W杯初出場を決めた岡田監督の時にその家族観が「変化した」ように感じてます。W杯出場という結果が「変化」を生んだのか、変化したからW杯に出場できたのかはわかりませんが、その大きな変化とは冒頭での述べた岡田監督のW杯メンバー選定=「カズ落選」「小野、市川の抜擢」と、そしてカズに変わって「中田英という新人類(死語)」を中心としたチーム作りをしたことだと思う次第です。まぁそれまでの代表チームに年功序列というものがどれくらい根付いていたのかわからないのですが、岡田監督の「実力主義」「カズ降ろし」&中田英の「ピッチ上での敬語はおかしい論」「サッカーだけがすべてでない」などセンセーショナルな言動は「新たな日本のサッカー文化」を形成したと思っている次第です。もちろんその反面、それまでの「既存の日本のサッカー文化」を良くも悪くも変えたところがあると思っているんですが…。

代表としての魂、代表としての誇り、代表の名誉。カズさんたちはそういった言葉をよく口にしていたし、常にそういった気持ちを持ち続けていた人たちだ。いつの頃からか代表選手たちの口からはそういった言葉が出なくなっていたが、絶対にもっていたんだ。代表の魂も代表としての誇りも代表の名誉も全部。ただ言葉にしないだけだった。僕も持っていた。
代表の重みというのは、次々と新しい選手が入ってくれば、彼らもまたさらに新しい選手に伝えていかなければいけない。Aマッチに出て、感動して、喜んで、一流の証として名誉を手に入れるのも良いだろう。しかし、その上で代表の重みも感じなくてはいけないと思う。そして、それをどんどん下の世代に伝えていくこと。それが代表選手の宿命だ。
もし今後上の世代がまったくいなくなった時に、自分があの人たちのした役割をできればいいと思う。出来ないかもしれない。それでも大丈夫だと思う。僕の下の世代の選手も肌で感じているはずだから。カズさんや澤登さんや、そういった選手たちを見てきているからけして間違った方向へはいかない。和司さんがいて金田さんがいて、哲さんがいた。そうやって受け継いできたものなんだと思う。
「NANAMI 終わりなき旅」(著:名波 浩)より

おなじみ名波の本からの引用です。ここで名波が言う代表の魂、誇り、名誉を、「既存の日本のサッカー文化」と言ってしまうのは言いすぎかもしれません。ただ、名波が言うようにそういう代表の魂、誇り、名誉をカズ(や中山)は大切にしていたように見えましたし、それ以降の世代(名波、中田世代?)=岡田監督時代からは、そういう意識が良くも悪くも薄れた気がするんですよね。伝統、継承、スタイルよりも、革新、新世代、戦術とでも言いますか!? もちろん、そういう誇り、名誉というような代表の価値観がなくなることはない思いますし今も確実に受け継がれているとは思いますが、その重要性というか重みは日本のみならず世界的に変化(減少?)していると感じるわけです。まぁ時代は常に変化するものですから、変化は必然的なものなのなのかもしれません。

…さて、話がまったくまとまらなくなってしまいました(笑)。そうそう。ただ時代は変われど、代表チームの「魂、誇り、名誉」というものを尊く考えている人物(監督)が今のサッカー界にもたくさんいると言いたいわけです。そこには日本代表監督のジーコであり、イングランド代表のエリクソンも含まれると。ただ、その「魂、誇り、名誉」に対する考え方やそれを扱う方法論といいますかプライオリティを置く所が、人によって少し違うのではないかと言いたわけです。例えばエリクソンはウォルコットという後継者にそれを継承することにプライオリティを置いて、一方でジーコは代表に流れる「血」の純度を守ることにプライオリティを置いたとでもいいますか。まぁもちろん日本代表時代の岡田監督にもそういう意識はあったとは思うんですが、どちらかというと「これまでの流れを受け継ぐ」というより「これから新しい時代を作る」ために小野を選んで市川を連れたんではないかと言いたいわけです。ってこのように書くと岡田監督批判って読まれてしまうかもしれませんが、そんなこともないんですよね。私は岡田監督は正しかったと思ってます。なぜならW杯出場という結果を出したから、流れを断ち切ることで、改革することで、新しい日本サッカーのすばらしい歴史を作ったからです。そうです。一番重要なのは血の継承でも血の純潔でもなく「血を賭けた戦いに勝つこと」。すばらしい歴史があるなら、それを守るべきだと思いますが、歴史がないなら「それまでのダメな流れ」を断ち切って、新たに歴史を構築するのは間違いではないと思うんでね。

って、わけで冒頭のエリクソンのW杯に向けたメンバー選出に戻るわけですが、血の継承はいいとして歴史を守る(作る?)勝算はあるんでしょうかね? エリクソン的には。まぁ、もちろん守れる勝算があるから「継承者」を呼ぶんでしょうけど、素人目には血の継承者なんか呼ぶ余裕はないように見えるんですが…。えっ? ウォルコットは継承者でなく戦力? まぁ確かに、化ける可能性は無きにしも非ずですが、そんなに甘くないと思うんですよね。W杯は。

というわけで、結局、何が言いたかったと言いますと、要はこれ。
ジーコとエリクソンは、やっぱ似てませんか?ってことです。(まだ言うか!?)
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